橋本宙八のひと言集
自分のいのちは自分で守る! (2023/05/15 投稿)
思い返せば、この言葉は、13年前のことになる東北大震災と名づけられた福島原発事故後の避難中、ネット上で発信し続けた記事のタイトルだった。
<>ふとまたこんなタイトルで書こうと思ったのは、今の世界の状況が、様々な理由で、この事故後に経験した危機的状況に重なるからである。
環境破壊による自然災害、生活習慣病の蔓延、感染症の勃発、命に関わる貧困、巨大地震、飢餓、戦争等々、今、まさに誰もが目の当たりにしている日常生活の出来事が、そのまま緊急事態そのものだ。と言う気がする。
津波に襲われた際に身を守る原則が、東北弁で「てんでんこ」である。
これは、「津波が来ると思ったら、一人一人が自分で判断して逃げろ!」と言った意味の教訓である。
この教訓は、緊急事態には、一瞬の判断が生死を分ける。
誰かの指示や助けをあてにしている者は助からない。
「例え、大事な家族や友であっても、助けることが無理だと思ったら、わきめもふらず、ただただ自分の命を守ることに徹しろ!」とも言える、とても厳しい言葉でもある。
この言葉を改めて噛み締めて思うのは、周囲の状況がどんなに危険な状況下でも、最低、自分のいのちを崩壊させずに済むことが一つだけある。と思うことだ。
それは、断食や半断食も含めた食の断ち方であり、例え、どんなわずかで質素な食べ物しか無くても、その食べ方の秘密を知って置くことである。
マクロビオティックの創始者の桜沢如一は、戦時中に、自分の弟子たちが戦地に赴いたことを知って、彼らに電報を送った。
その内容は、「オシモノを謹しみて最後に勝つ者たれ!」と言った言葉であった。
これは、どんな状況下にあっても、正しい食の食べ方を忘れずに「絶対に生き延びて帰れ!」と言った弟子たちを鼓舞、叱咤激励する内容の電報であった。
今、世界で起きている様々な出来事は、時代の変化にかかわらず、人間が人間としてより進化、成長をしなければならない。
人間に与えられた必須の試練である。と私はそう考えている。
もし、そうだとすれば、どんな状況も受け入れざるを得ないのもまた、人間の避けられない業(カルマ)でもある。
甘んじて受け入れよう。
この厳しい現下の状況は、自分の力だけでは、どうにもなるものではない。
しかし、諦めることは無い。自分の手で出来ることがただ一つだけある。
それは、例えわずかな量であっても、それが極端い質素なものであっても、与えられた今の食べ物によって、最低、自分の身を守ること、家族の身を守ることくらいは、その食べ方の方法さえ知っていれば、きっと出来るはずだ。からである。
その食の秘密を教えてくれるのが、「食養生の道」だ。
その食の秘密を少しでも深く知って、「ぜひ、与えられた人生を全うするために、生き残る者になって欲しい!」とこれまで縁のあった人たちに叫びたい、呼びかけたい心境である。
いのちの初期設定 (2023/04/26 投稿)
人間とは何か?これは、人類と言うものが続く限り、永遠のテーマである。
<>つくづく、自分の身体や心を眺めていてもそう思う。
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どうして心臓は、こうも正確に、そして、パワフルに、何十年も動き続けるのだろうか?
肝臓は、腎臓は?血液や細胞は?しかりである。
精神の不思議さを考えたらキリがない。
なぜ、大自然は、神様は、こんな不思議で巧妙なものを創ることが出来たのだろうか?そのいのちが今、とても危機的な状況になっている。
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日本人の二人に一人がガンになり、三人に一人が死ぬ。
それらの予備軍とも言える生活習慣病の数々は、もう、ごくごく誰もが普通に抱えている病気となってしまった。
その原因は、環境を破壊し、その裏側で、人間の身体や心を様々な理由で崩壊させているのが一番の理由である。
もはや、人類が、環境を全て破壊する前に、自らの命を自らの手で壊して自滅するかも知れない。とも危惧されることだ。
それに歯止めをかけるためには、私たち人間のものの考え方、行動、価値観、人生観、世界観をどう変えることが出来るかが一番の課題だ。
一見、遠回りに思えることだが、じつは、これが一番の近道である。と思っている。社会は、個人の集合体である。
その集合体を変えるためには、全ての人間の同意が必要だ。
しかし、自分を変えることは、今日からでも今かでも出来ることだ。
私は、劣等感一杯の自分を何とか生まれ変わらせたいと思い、この食の道に出会った。
食が人間の身体を作り、心は、そこから生まれるものだと知った。
そんな自分のちっぽけな改革が、さて、これまでどれだけの人の役に立ったのかは、定かでない。
しかし、自分を変えるためには、大いに役に立ったと実感している。
この情報化社会の中で、パソコンは、無くてはならないモノである。
そのパソコンが、正常に機能しなくなってしまった時、どうするかと言えば、買った当初の姿にもう一度初期設定することである。
現代人の様々ないのちの機能不全を考えると、もう待った無しで、この初期設定が必要な時期が来ていると思う。
身体と心を、最も短期間に、そして、効率良く変えることが可能な半断食は、このいのちの初期設定(リセット)の一つである。
この方法は、いつ何処でも、誰もが、ごく簡単にやれる方法である。
そこに最大の効用がある。
一人でも多くの人に、このいのちの初期設定を体験してもらい、本来の自分の身体や心を、ぜひもう一度、正常な姿に取り戻してもらいたいものだとつくづくとそう思う。
豊かさ便利さの裏に潜む落とし穴 (2023/04/02 投稿)
便利な世の中になった。都会は言うに及ばず、田舎でさえそうである。
<>この風潮は、今後、ますます確実にその方向に向かって進んでいる。
<>洗濯機や掃除機の有り難さは、それを手でやっていた時代の者でなければ、到底その本当の有り難さは分からない。
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電車や車は言うに及ばず、テレビから始まって、パソコン、そしてアイフォンも然りである。自分の手の中で、世界で起きているありとあらゆることが見て取れる。
ただぼーっと歩くより、若者の多くが、ながらスマホになる心境もわからなくもない。
怪我をしなければいいがと、いつもそう思って眺めている。たまに行く大都会の便利さは、数年、数ヶ月のほんのわずかな期間であっても、目に見張るほどの変化がある。
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かつて、東京に20年間住んでいた経験などがあっても、少しも自慢にはならない。
今行けば、まさにお上りさんである。変貌した駅の構内で迷子になってしまう自分が笑える。「世界のあらゆるものをデジタルに変えよう!」は、人間が、そんな豊かさ、便利さを追求して来た当然の結果であり、間違いなく、今後は、社会や世界の全ての人やモノが、たちまち、今の人でさえ驚くような姿になってしまうだろう。
<>でも、忘れてならないのは、そうした豊かさ便利さの裏側では、間違いなく、一人一人の人間の、ありとあらゆる身体や精神の能力を喪失させるものであることを忘れるべきではない。とつくづくとそう思う。
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エレベータは、自分が足を使って健康になるための機会をすっかり奪ってしまった。
車のナビゲーションは、地図を使って走っていた時に比べたら、明らかに、人間の方向感覚や空間感覚を失わせた。
大地と触れ合う農業でさえ、さまざまな作業が機械化され、田んぼに足を入れたことがない農業者さえ生み出すようになってしまった。デジタルやロボットに、自分がやるべきことを任せれば任せるほど、その反面で、私たちがかつて自らの身体を使い、心を使って、判断、行動していた能力を、いよいよ劣化、退化させて行く。
文明の便利さや豊かさとは、そういう落とし穴を持つものである。
「豊かなる貧しき人間と貧困社会」それでいいのかをいつも考えて生きねばならない。
食べ物とは何か? (2023/03/20 投稿)
人間が生きて行く上で欠かすことの出来ない「食べ物」。
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その食べ物とは一体何だろうか?
現代的な解釈で言えば、それは、タンパク質、脂質、炭水化物(糖質)の三大栄養素であり、その上で、ミネラル(無機質)、ビタミンを含む5大要素のことであるらしい。まさに、科学的な理解である。
そんな理屈からも、最近では、この5大要素を満たすものを食べれば良いと言う発想で、ひたすらこれらをサプリメントで摂り、3食(?)これで良しとしている人も多くいるらしい。
食材の栽培分野でも、これに乗じて、どんどん食が化学物質化しつつあり、野菜は元より、肉や魚なども、どんどん工場生産や養殖によるものになりつつある。
何とも合理的な解釈であるが、それで良しとするなら、問題はこと、各自の自由が最も尊ばれなければならない食べ物の世界の話である。
他人がとやかく言う問題ではない。
近未来には、料理も調理もまったく必要ではなくなるので、ある意味大いに便利で結構なことでもある。
だとも言えなくはないが、さて?誰もがやがてそんな時代になると考えると、これは、いささかぞっとする話でもある。
世の中から、全ての料理番組が消え、地域名物やご当地グルメなるものも、まったく必要がなくなる。
食堂も、レストランも、旅館も、寿司屋も、蕎麦屋も、コンビニもテレビ局もやることが無くなり、消えてしまいはしないだろうか?そうなれば、世の中にごまんとある飲食業やサービス業は、一体何をビジネスにすることになるのだろうか?まったく訳の分からない世界になってしまうことだけは確かである。
しかし、どうやら、最近のこの料理ブームを考えると、理屈ではそう考えるが、実際には、どうもそうなる様にも思えない。
むしろ、そうした合理的、科学的な思考や行動が増えれば増えるほど、反対に、「食べ物とは一体何か?」と言ったより本質的な問いかけやビジネスもまた増えて行くものなのかも知れない。
マクロビオティックによる食の本質に対する解釈は、「食べ物」とは、自然界のエッセンスである光、大地、空気、水、風の波動エトセトラの大自然の恵みそのものである。と捉える。
伝統的な日本食の料理にも、季節に合わせた食べ物を選択する「旬(しゅん)」や「一物全体」の発想がある。仏教には、人間の身体は、環境とは一体、不可分のものである。と言った「身土不二」の教えもある。
だから、我が家の食前の言葉は、「お日さま、土さん、風さん、水さん、美味しいご飯をありがとう!今日も楽しく遊べます様に!」である。子どもたちも長年この言葉を使い、今では孫たちもまた、この言葉を唱えて食事をしている。
さて、あなたは将来、一体、どちらの食の道を選ぶ人間になるのだろうか?
京丹波「養生庵」開設のお知らせ (2023/03/13 投稿)
京都のマクロビアンの我が家から、車で15分ほどの場所に、縁あって、大正時代の古民家を手に入れました。
<>この地は、旧地名が瑞穂町の名の通り、長らくお米を中心にした京野菜の産地の中心地でもあります。家の周囲をぐるりと田に囲まれ、畑もついています。
<>ここを上記のタイトルにある様に、今後、宙八の仕事場の一つして開設することになりました。食養生、料理の研究、各種の講座、多くの人たちとの出会いの場として、地域の活性化を応援すること等にも、活用できたらと考えています。
<>その講座の第一弾として、下記の会を開催します。
<>「野草を学び楽しむ会」
<>自然を見ていると、野草はどうして、何の肥料も施さず、毎年、あれほど見事に芽を出し、立派に育つのか?とても不思議に思います。野菜があんな風に育てられたら、人はどんなに楽か、そして、健康にもなることでしょう。
<>昔から、野草はとても栄養があると言われて来ました。人の病気を治す力を持つ身近で貴重な植物でもあります。多くの人のいのちから、野性の力が失われつつある今だからこそ、そんな野草の秘密を知ることが必要かと思います。
<>かつて、若杉のおばあちゃんに習い、今は、歌手の加藤登紀子さんの自然王国で活躍する吉度ちはるさんに、野草の魅力について教えてもらおうと思います。野草の摘み方、見分け方、それを使った野草料理を味わいながら、野草について大いに学びましょう。絶好の機会です。ぜひ、友人知人をお誘いの上ご参加下さい。
<>日 時:4月12日(水)午前10時〜3時
<>場 所:〜いのちは食から〜京丹波「養生庵」(地図参照)
<>住 所:京都府京丹波町和田田中1−2(旧瑞穂町)
<>内 容:野草を摘み、学び、料理を楽しむ会
<>講 師:吉度ちはるさん(裏面にプロフィール)
<>参加費:大人3000円・学割半額(食事代を含む)・子供500円・幼児無料
<>【各自持ち物】長靴、帽子、タオル、エプロン、筆記用具、雨天の場合は雨具。
<>主 催:〜いのちは食から〜京丹波「養生庵」主宰橋本宙八(ハシモトチュウヤ)
<>申し込み・問い合わせ:電話(090-4556-4374) mail: chuya@macrobian.net
原発事故から12年、今、思うこと (2023/03/11 投稿)
12年前の昨日まで、人生の全ての夢は、あの福島の山奥の地にあった。33歳で入植し、原野を開墾した。そこに、自分の手で家を建て、夫婦二人で五人の子どもを産み、育て、大自然の中で、まるで動物の家族のように暮らした。
<>知りたい人生の課題は、周囲の自然が、いつもその答えを教えてくれた。
<>
家族にとって、大自然は、いつでも最良、最善の先生だった。
事故が起こるその日まで、残りの人生もまた、その全てをあの地に賭けて死のうと考えていた。そんな思いが、12年前の今日、午後2時46分に起きた原発事故によって、突然奪われてしまった。人生は、自分の夢や想いだけでは生きて行けないことを、改めて痛感させられた出来事だった。
<>この理不尽な課題を山ほど抱えた放射能事故への遭遇は、私たち家族にとっても、その他の多くの被災者にとっても、また、日本に限らず、世界中の人間にとっても、これからの生き方を問われる大きな課題であった。
<>
そして、その裏には、間違いなく、私たち家族の成長のために、また、世界中の全ての人間の成長や進化のための、とてつもなく大きな秘密の鍵が隠されている。と思えた。各地を転々と避難しながら、これまで経験したことのなかった人の善意にも沢山触れることができた。
<>
どこへ行っても、必ず、自分達が求める支援に手を差し伸べてくれ人たちが居ることを知った。
そんな体験の際に、我が奥さんは、その支援の嬉しさに、つい、「原発ありがとう!」とまで言ってしまっていた。
その後の12年間、私は、いわきの山奥での夢の再建と、その続きを実現するために生きて来た。
それは、長いようで短い、短いようで長い。
今もなお異次元と思える時間であり、空間だった。そんな12年が過ぎて今、改めて思うことは、私と家族の人生は、現在の姿のままに、成る可くしてなった人生であった。と、つくづくとそう思うようになれた。
<>
その理由は、この12年間の経験や出来事を書き表すのに、一冊の本を書くだけでは足りないはずだ。とそう思えるほどに中身の濃い内容と、多くの人との出会いの縁であった。仏教で伝えている人生の業(カルマ)とは、その人間が持って生まれた種によって、
人生の適時、適所に、寸分の違いもなく、結果となって現れる。と言われている。
私は、それを素直に受け止める人間でいたいと思っている。
原発事故は、私にそれを教えてくれた。
そして、この国の人々もまた、願わくば、それぞれのいのちに組み込まれていたこの事故の、因果応報の種から生み出された結果をそのままに受け止め、その裏に潜んでいる成長のための芽を自ら育て、花を咲かせて、次の時代へと続く新しい種(タネ)をぜひ自分から生み出して欲しいと思う。
今、私たちの国が、どれだけこの福島の事故の教訓から多くのものを学び、それを未来へ続く人たちへ受け渡す行動の準備ができたのだろうか?これは、この国が続く以上、未来永劫消えることのない最大、最重要の課題である。と、私にはそう思える。
養生の核心は「楽しむこと」に有り (2023/03/09 投稿)
「養生の思想」西平直著の一節に、「養生の基本は、まず「節制」である。欲望を「恣(ほしいまま)」にしてはいけない。適度に節制する。しかし、過度に節制すると逆効果になる。養生は「中を守るべし」。そして「楽」を説く。楽しみを失わないこと。とあった。これは、知る人ぞ知る貝原益軒の言葉だと言う。
<>長く食事による健康法に携わって来た者としては、ことさらに、この「楽しみを失わないこと」とある言葉には、その通りだ。と思う反面、ドキリともした。
<>なぜなら、現代の飽食、美食の時代にあって、生活習慣病一番の原因は、間違いなく日頃の食習慣にある。その習慣となった食事を変えることは、何よりも、困難且つ、厳しいことであることをいつも痛感しているからである。
<>この問題の原因は、間違いなく、現代社会のストレスである。そもそもが、そのストレスを解するための食なのだから、それを変えろと言うことは、最大の欲望である食事とストレス解消のための癒しの逃げ口のその入り口と出口とを塞ぐことになる。その両方を、共にバッサリと切ろ!と言われていることに等しい。
<>そんな難しいことを「楽しめ!」とは一体どういうことなのか?と、目から鱗と少々のドッキリとが重なって、「その通り!」だとも思えた言葉であった。
<>これまで長く食事の習慣を変えることを自分にも課し、他人にも「頑張れ!」と言い続けて来た者にとって、この頑張りが無ければ病気は治らなし、その他の多くの問題も改善できないことは明明白濁だ。とずっと思い続けて来たからだ。
<>しかし、貝原益軒の指摘の通り、人間は、無理をして頑張っていると、必ずその反動で、余計にストレスが増す。これもまた真理である。良かれと思ってやっていることが、しばしば事態を悪くすることも山ほど経験してきた。食を変えることの難しさの最大の原因は、間違いなくここにあると思っている。
<>では、どうやってこの「楽しみながらの養生」が可能なのか?は、誰にとっても問われる課題であり、自分にとっても、今後の食の指導の際の、変わらずの最大の課題である。大いに楽しみな宿題をもらった。
花粉症の原因とその解決法 (2023/03/04 投稿)
花粉症は、そもそも、杉の花粉が飛来しているから起こるものではありません。
花粉のような繊細なもので起きてしまうアレルギー体質であることが一番の原因です。
つまり、花粉症は、その元凶であるアレルギー体質を改善しなければ、根本的には治すことはできません。
そのためには、日頃から、よりリスクの無い生活環境を心がけ、身体にとって最大のアレル源である食事を改善することが何よりもまず必要です。
正しい食事を心がけ、正しい食べ方を身に付けさえすれば、誰もが、容易に治すことが出来るものでもあります。
一般的に花粉症は、全国的に増えてしまった杉の植林が原因だと言われています。
確かにそれは一つの原因ではあるのですが、だとすれば、そうした植林地域に住む人たちのことごとくが花粉症になるかと言えば、決してそうではありません。
むしろ、そうした地域に住む人たちほど、意外にも花粉症にはなっていないこともまた事実なのです。
それに比べて、大都会に住む人たちに花粉症が多い理由は、明らかに都市環境によるものだと言えます。都会の空気はお世辞にも良いとは言えません。
目に見えない車の排気ガス、タイヤでまき上がるアスファルトの粉末、化学塗料がふんだんに使われているビルの構造や新家材で作られた家のハウスダスト、日々身につけている化繊の洋服による刺激、木や草などの植物の圧倒的な少なさ、人の多さ、空気の汚染等々、大都会の環境は、アレル源一杯の環境であると言えます。
しかし、一方で、そんな大変な環境の中にあっても、花粉症にならない人が大勢いることもまた確かなことです。
だとすれば、杉花粉の飛来や都市環境の悪化以外にも、花粉症が起こるのは、その他にもっと大きな原因があると考えられます。
それが食事なのです。これは、何よりも身近な花粉症最大の原因です。
最近、特に若い世代の多くが関心を持ち始めている自然食品、オーガニック野菜や肉食を避けたいと思うベジタリアン志向の若者が増えつつある理由は、環境問題や動物愛護への配慮の他に、現代食の極端な劣化、悪化に対する若者たちのいのちへの危機感がそこに現れていると思われます。
それら食事のリスクは、農業に於ける農薬、化学肥料、除草剤の大量使用、食品加工の際に頻繁に使われている食品添加物の多さ、家畜や魚の養殖等に日常的、大量に投与されるホルモン剤や抗生物質等。
その他にも、健康のためのサプリメントや栄養食の常用。
その他の日常的な薬物等々の過剰な摂取は、どれもが化学物質由来のものであり、本来、自然であるべき身体にとっては、大いにリスクのあるものばかりです。
従って、花粉症を解決するためには、生活環境を見直すことと同時に、何よりも、こうした原因となる食べ物を食い改めることが先決です。
その上で、花粉症の典型的な症状である目の痒みやくしゃみ、鼻水などを抑えるために、こうした症状を喚起すると思われる食べ物や飲み物を、極力避けることにも努力しなければなりません。
花粉症の典型的な症状であるくしゃみ、咳、目の痒み等を引き起こすと思われる食べ物や飲み物は、主に、アルコール類、白砂糖を多く含む甘い菓子類等の嗜好食品、スイーツ、ジュース、果物等。
また、鼻や喉を特に刺激するカレーやラーメンなど、香辛料や油類たっぷりのもの、肉や魚などの揚げ物等々、過剰なタンパク質、カロリーを含んだ食べ物、飲み物などが、その典型的なものです。
その上で、では、具体的な症状を即刻改善するためには、一体どうすれば良いのでしょうか?
それは、上記のものを極力自然なものへと変え、減食を心がけることが最善の方法です。
すでに指摘した食事の内容(穀物菜食)を心がけ、且つ、できるだけ小食、小飲でよく噛む(一口100回)ことです。
さらに、可能であれば、日頃の食事の回数を、3食から2食にしてみる。あるいは1食にしてみることです。
つまり、こうした「半断食」状態の食事スタイルが最も花粉症改善のためには、効果的、根本的な改善となります。ぜひやって見てください。
その上で、特に症状に対して効果のある手当て法は、熱いお湯に、生姜のすりおろしを大さじ2杯ほど入れたお湯にタオルをつけてよく絞り、目や鼻や喉の患部をしっかりと温めることです。
花粉症の症状が軽減することがすぐに体感、実感できるはずです。
ちなみに、なぜ花粉症が春先に起きるかと言えば、それは、寒い冬の間に体内に溜め込んだ過剰なタンパク質やカロリー等の解毒を、季節の変わり目に起こさせるためです。
それらを正常通りに内部でなかなか処理できずにいる体質、状態(アレルギー体質)であることがそもそもの一番の原因です。
これは、動物の毛の抜け替わりと同じようなもので、人間の身体も、春にはこの衣替えが起きるのです。
季節の変わり目に起こると言われる風邪などもまた、そうした症状の一つだと言えます。
花粉症は、そもそも、杉の花粉が飛来しているから起こるものではありません。
花粉のような繊細なもので起きてしまうアレルギー体質であることが一番の原因です。
つまり、花粉症は、その元凶であるアレルギー体質を改善しなければ、根本的には治すことはできません。
そのためには、日頃から、よりリスクの無い生活環境を心がけ、身体にとって最大のアレル源である食事を改善することが何よりもまず必要です。
正しい食事を心がけ、正しい食べ方を身に付けさえすれば、誰もが、容易に治すことが出来るものでもあります。
一般的に花粉症は、全国的に増えてしまった杉の植林が原因だと言われています。
確かにそれは一つの原因ではあるのですが、だとすれば、そうした植林地域に住む人たちのことごとくが花粉症になるかと言えば、決してそうではありません。
むしろ、そうした地域に住む人たちほど、意外にも花粉症にはなっていないこともまた事実なのです。
それに比べて、大都会に住む人たちに花粉症が多い理由は、明らかに都市環境によるものだと言えます。都会の空気はお世辞にも良いとは言えません。
目に見えない車の排気ガス、タイヤでまき上がるアスファルトの粉末、化学塗料がふんだんに使われているビルの構造や新家材で作られた家のハウスダスト、日々身につけている化繊の洋服による刺激、木や草などの植物の圧倒的な少なさ、人の多さ、空気の汚染等々、大都会の環境は、アレル源一杯の環境であると言えます。
しかし、一方で、そんな大変な環境の中にあっても、花粉症にならない人が大勢いることもまた確かなことです。
だとすれば、杉花粉の飛来や都市環境の悪化以外にも、花粉症が起こるのは、その他にもっと大きな原因があると考えられます。
それが食事なのです。これは、何よりも身近な花粉症最大の原因です。最近、特に若い世代の多くが関心を持ち始めている自然食品、オーガニック野菜や肉食を避けたいと思うベジタリアン志向の若者が増えつつある理由は、環境問題や動物愛護への配慮の他に、現代食の極端な劣化、悪化に対する若者たちのいのちへの危機感がそこに現れていると思われます。
それら食事のリスクは、農業に於ける農薬、化学肥料、除草剤の大量使用、食品加工の際に頻繁に使われている食品添加物の多さ、家畜や魚の養殖等に日常的、大量に投与されるホルモン剤や抗生物質等。
その他にも、健康のためのサプリメントや栄養食の常用。その他の日常的な薬物等々の過剰な摂取は、どれもが化学物質由来のものであり、本来、自然であるべき身体にとっては、大いにリスクのあるものばかりです。
従って、花粉症を解決するためには、生活環境を見直すことと同時に、何よりも、こうした原因となる食べ物を食い改めることが先決です。
その上で、花粉症の典型的な症状である目の痒みやくしゃみ、鼻水などを抑えるために、こうした症状を喚起すると思われる食べ物や飲み物を、極力避けることにも努力しなければなりません。
花粉症の典型的な症状であるくしゃみ、咳、目の痒み等を引き起こすと思われる食べ物や飲み物は、主に、アルコール類、白砂糖を多く含む甘い菓子類等の嗜好食品、スイーツ、ジュース、果物等。
また、鼻や喉を特に刺激するカレーやラーメンなど、香辛料や油類たっぷりのもの、肉や魚などの揚げ物等々、過剰なタンパク質、カロリーを含んだ食べ物、飲み物などが、その典型的なものです。
その上で、では、具体的な症状を即刻改善するためには、一体どうすれば良いのでしょうか?
それは、上記のものを極力自然なものへと変え、減食を心がけることが最善の方法です。
すでに指摘した食事の内容(穀物菜食)を心がけ、且つ、できるだけ小食、小飲でよく噛む(一口100回)ことです。
さらに、可能であれば、日頃の食事の回数を、3食から2食にしてみる。
あるいは1食にしてみることです。
つまり、こうした「半断食」状態の食事スタイルが最も花粉症改善のためには、効果的、根本的な改善となります。
ぜひやって見てください。
その上で、特に症状に対して効果のある手当て法は、熱いお湯に、生姜のすりおろしを大さじ2杯ほど入れたお湯にタオルをつけてよく絞り、目や鼻や喉の患部をしっかりと温めることです。花粉症の症状が軽減することがすぐに体感、実感できるはずです。
ちなみに、なぜ花粉症が春先に起きるかと言えば、それは、寒い冬の間に体内に溜め込んだ過剰なタンパク質やカロリー等の解毒を、季節の変わり目に起こさせるためです。
それらを正常通りに内部でなかなか処理できずにいる体質、状態(アレルギー体質)であることがそもそもの一番の原因です。
これは、動物の毛の抜け替わりと同じようなもので、人間の身体も、春にはこの衣替えが起きるのです。
季節の変わり目に起こると言われる風邪などもまた、そうした症状の一つだと言えます。
腹を減らせば病気は治る? (2023/03/02 投稿)
答えはYES!である。その理由は簡単明瞭だ。
<>
空腹こそが、自らが持てる「治る力」の最大の発現力となるからである。
昔の人は、それを誰もが知っていた。しかし、今の人は、若者は言うまでもなく、例え高齢者であっても、
<>
それを知らない人が案外に多い。
いや、じつは、腹の底では知っているのだが、そんなことはあまりしたくないので、
気がつかない振りをしている。と言った方がいいかも知れない。
もし、自分でやるのが心配なら、自分の身近にもし犬や猫が居たら、
彼らの様子をよおく見ることである。
彼らは、怪我や病気をすると、決まって、「減食」や「断食」をしてそれを治そうとする。
ほぼ間違いなく100%そうする。
そして、大抵の場合は、見事に彼らは、その怪我や病気を治して見せる。
つまり、彼らは、腹を減らせば怪我や病気は治るものだ。と言うことを、
生まれつき本能として知っているからである。
ところが、これはあくまで人間が余計なことをしなければ。の話である。
もし、飼い主が居る場合には、彼らは、それがしたくても出来ないことになる。
余計な栄養食や薬を飲ませてしまい。結果、なかなか怪我や病気が治らず、
余計に怪我や病気を長引かせてしまったり、悪くしてしまう場合さえある。
人間は、そんな本能は、本来、動物以上に持っているはずなのだが、
多くの人は、それをすっかり忘れてしまっている。
その腹を減らして治癒の効果を高める力のことを、「免疫力」、「治癒力」、「治る力」と言う。
重大な怪我や病気になってからでは遅すぎる。
心配になって、そんな実践も実験も自分では出来ないかも知れない。
日頃から腹を減らす練習を時々やって見ることを、心からおすすめする。
一食抜く、あるいは、一日抜いて見る、勇気が出たら、三日も空腹にすれば、
大抵の問題ある頭もすっきりする。
身体や心が軽くなることを実感する。
少々の怪我も病気も治る方向へと向かう。
やって見れば、その効果のほどに、きっと驚くはずである。
腹を減らすことは、痛い目もせず、時間もかからず、お金も全く不要である。
これほど便利な健康法は無い。
半断食セミナーにご参加下さった皆様へ (2021/03/02 投稿)
ご無沙汰しています。
<>パンデミック(世界的感染爆発)で、世の中が今、大きく変わり始めています。
<>2021年3月1日 橋本宙八
皆さんは如何お過ごしですか?
今月で原発事故から10年。
マクロビアンの半断食セミナーにも、
再び、新たなあり方が問われる状況になってしまいました。
コロナの問題、皆さん同様に関心があって、
私もこの一年、ずっと考えて参りました。
世界中で重症化したり、亡くなる人の数は確かに増えています。
多くの人が恐怖感を感じていますが、
しかし、その実態は、感染したほとんどの人(97%以上)が、
決定的な治療法が未だに見つからない現状の中で、
じつは、驚くほど短期間に回復して日常生活に戻れています。
これが、今世界中で恐れられている感染症の真実の姿です。
つまり、誰もが恐れるコロナウイルスなのですが、
現実には、それぞれが持つ免疫力、治癒力、つまり「治る力」によって、
多くの人が、この危機を乗り越えられていると言うことです。
度々ニュースで騒がれる重症化に対する対処法でも、
また、最後の治療法だと言われているEKUMOによる肺の治療でも、
答えはこれと同じです。
トドのつまりは、その人自身が潜在的に持つ免疫力、
「治る力」が、その重症化や生死を決定していることは、
メディアの報告からも明らかことなのです。
今、救いの様の様に思われ、世界中の人々が競って
接種に群がっているワクチンの効果でさえも、
結局のところは、接種後にその人が持っている抗体力、
つまり治る力の有無にすがる方法でしかありません。
その裏に隠されている重要な副反応の問題は、社会の時流もあって、
その真実は、メディアでもなかなか詳細が報告されておりません。
むしろ、今は、変異するウイルスがどんどんと増えている傾向があり、
現在のワクチンがそれに対してどれほど効果を持つものなのか?
誰も全く分かっていない状況です。
今回のワクチンは、ご存知の様に、その効果を保証しないままに認可され、
利用されているあくまでも暫定的なワクチンであることを忘れては行けません。
今後、明らかになる道のワクチンの副作用が、どれほどのものなのか?
近い将来、誰もがその結果を大いに危惧しています。
何れにしても、こうした現状から考えると、
私たちが持ち得る感染症対策の最善の対処法は、
自分の命の中に隠されている「免疫力」「治癒力」、
つまり、「治る力」をどう鍛え、高めて置くことが出来るか?
にかかっています。そのことを、今こそしっかりと認識すべき時であり、
やり得る対象を、具体的に、日々実践すべき時だと考えています。
これまで同様、半断食セミナーで皆さんに提言したいと考えているのは、
以前のものと全く変わりがありません。
「食物でしか高めることの出来ない免疫力、治癒力、すなわち治る力」を、
今、どこまで鍛え、高めて置くことが出来るか」それに尽きます。
改めてこれからのマクロビアンのセミナーのあり方を考えて見ました。
その結果、今後も、年に二回程度のセミナーは、
これまで同様に、しっかりと国内で継続して行くことに心を決めました。
ぜひ、ご都合のつく方は、セミナーにおいで下さい。
このコロナがもたらした文明のパラダイムシフトが、今後、どの様に私たちの世界を創造して行こうとしているのか?
宙八がこの一年考えたその世界を、このセミナーの機会にぜひ皆さんにお話ししたいと思います。
お会いできることを心から楽しみにしています。
「ワクチン開発に成功!」喜んでいいのか悪いのか? (2020/11/11 投稿)
まだ数年はかかると言われたワクチンが、ここ数日、
アメリカの薬品会社が開発に成功し、
すぐにも使用可能になるかも知れないとメデイアが報道した。
ワクチンが人類を救うと考える多くの人にとっては朗報のように思えるが、
果たして、そのワクチンは本当に安全なのだろうか?
大いに疑問である。
なぜなら、ワクチンには必ず副作用の心配がある。
先日、イギリスで、ワクチンの試験接種をしたボランティアの
若者が一人死んだと聴いた。
薬品会社が開発を一時ストップした。
当然のことである。
ワクチンの安全性を確認するには、
数万人以上の人間への試験を経て、
完全に安全性を確認出来たものでなければ使用が出来ない。
当然のことだからだ。
日本で来年オリンピックを開催するには、
ワクチンの開発が最低の条件だと言われる。
そのため政府は、国民全員にワクチンが打てるよう、
現在法整備を急いでいる。
オリンピックを開催するには、
日本がいかに安全な国であるかを世界に
アッピールする必要があるからだ。
そのワクチンは、当然、
世界中から集まるアスリートたちにも強制接種されることになる。
そもそも、普通の人間の身体ではないそんな貴重な身体を持つ選手のたちに、
遺伝子まで操作したワクチンを接種していいのだろうか?
と言う話である。
一秒の何分の一を争う競技で、
副作用が心配されるワクチンを接種しても思うような成績が出せるのか?
そもそも、そんなオリンピックでいいのかどうか?
という話でもある。
間違いなく、これは、史上かつて無い膨大な人体実験のオリンピックとなる。
かつて、パンデミックが起きたSURS感染症のワクチンの場合は、
開発に17年かかっても実現出来なかった。
と言う事実がある。良く知れた話である。
それほど、ワクチンにはリスクが危惧される。
その実現しなかったワクチンは、
これまで使用されて来たウイルスの毒性を希釈したいわゆる「生ワクチン」である。
しかし、今回成功したと言われるワクチンは、
従来のそんなワクチンとは全く異なるものだ。
それは、副作用の反応を抑えるために、
RNA遺伝子を操作したいわゆる「遺伝子操作ワクチン」
と言われるものである。
ウイルスの遺伝子を操作したことで、
摂取したヒトの体内で、これまでとは全く違った
ウイルスに変異することが心配されているワクチンだ。
その変異したウイルスが、その後もし、
ヒトからヒトへと感染するウイルスになったとしたら、
その時、世界では一体何が起きるか?考えただけでもぞっとする話である。
先日、デンマークで、試験接種でミンクにワクチンを接種したら
変異が起きて新しいウイルスが発生した。
とテレビが放映している。
それがヒトに感染することが分かり、
拡大を防ぐために何万とも言われるミンクが殺消処分されたのだと言う。
新型コロナウイルスの変異は、当初から心配されていたことである。
そのため、今回の感染症はこれほど長期に渡り長く、
そして広く世界に拡散している。
それが、ウイルスが絶えず変化を繰り返しているからだ。
とも言われている。
そんなワクチンを、もし、今後、
世界で大勢の人に接種すれば、その大勢の人たちの体内で、
遺伝子レベルで変異が起こり、
そのウイルスが大量に発生することも容易に考えられる。
ミンクは殺処分できても、人間はそういう訳にはいかない。
遺伝子操作のワクチンは、自然由来のこれまでのワクチンとは全く異なるものであることを、
私たちは今、はっきり知って置かなければならない。
世界では、抗生物質他の薬物の大量使用によって、
これまで存在しなかった多剤耐性菌が大量に発生している。
これは、今後、一切の薬を無効とするスーパー耐性菌のことである。
この菌の存在によって、現代医療の薬物療法は崩壊の危機を迎えている。
とも言われる重大な課題である。
2013年、世界保健機関(WHO)は、世界はこれから、
ガン、エイズ、肥満の三大病に代わって、
多剤耐性菌による感染症のパンデミックとの闘いになると伝えた。
約10億人が感染し、1億7500万人程度の死者が出ると発言した専門家もいる。
今、世界が抱えている感染症とは、全く次元の異なる感染症が、
これから間違いなく世界中で起こるだろうと言う警告である。
現在の新型コロナウイルスは、確かに厄介な感染症だ。
しかし、このウイルスに感染した感染者の90パーセント以上は、
各自の免疫力で回復している事実がある。
その状況を考えた時、何が何でも人の手で、
ウイルスを抑え込み、叩き潰し、排除する。
そんな考え方には大きな疑問を持つ。
その発想の転換こそが求められる時代ではないのか?
とそう思うのだ。
ウイルスの目的とは? (2020/08/21 投稿)
生物学の視点では、ウイルスは、意図も目的も持たない存在だと言われています。
ウイルスには脳が無いので意思も意図も全く存在せず、
したがって、人間に危害を加えることなどは全く思ってもいないことであり、
彼らにあるのはただただ「増殖すること」だけなのです。
したがって、ウイルスが宿主である人間を死亡させてしまうのは、
増殖のための環境を失う結果になるので、
ウイルスにとっては、全く本意ではない事だと言うことになります。
今、世界の多くの人が叫ぶ「ウイルスは敵だ!」と言う至極人間的な感情は、
じつは、当事者であるウイルスにとっては、
全く預かり知らぬことなのです。
そのウイルスは、本来、動物間でしか感染、移動しないものだと言われています。
したがって、メディアが報じたように、
今回のウイルスがもし中国の市場の野生動物からヒトへと感染したのだとすれば、
その原因は、野生動物のウイルスが変容したからでは無く、
ウイルスはただ、自分が増殖できる環境だと感じ(?)、
動物からヒトへと感染しただけのことだったのかも知れません。
つまり、感染した真の原因は、人間の身体環境が、
限りなく野生動物に近い状態になっていたからだとも考えられるのです。
これは、食の視点から言えば、近代の欧米の肉食文化の偏りがもたらした結果
であるとも言えます。その一つの証明が、今、
感染が拡大している死者の多い国が、
死者の少ないアジアの国々では無く、
アメリカや欧州、ブラジルなどのまさに肉食が
盛んな国々であることにあらわれています。
このコロナ渦で、ベジタリアンやヴィーガン(完全菜食主義者)が
急激に世界で増え始めていると言るのは、
そうした、現代の肉食文化のあまりにも偏った食のバランスを取るために、
多くの人たちがサバイバルしようと行動し始めた結果なのかも知れません。
ウイルスは、生物(有機物)でも無く物質(無機物)でもありません。
イノチでもモノでもない実に不可思議な存在です。
バイキンは、明らかに生物世界の存在であり、
生物間のバランサー(調整役)だとすれば、
ウイルスは、有機的世界と無機的世界を自在に行き交うことの出来る
大地の無機的世界と、植物や動物(人間)などの
生命の有機的世界のバランサーだとも言えるのです。
今回のパンデミック(世界的感染現象)は、
人間が近代に造り出した人工的で不自然な文明環境(無機的世界)が、
本来有機的であるべき自然環境や人間の身体環境(有機的世界)との間で、
バランスを取るために起きた必然的な現象(動的平衡)だとも考えられるのです。
地球環境のバランスの見事さは、改めて言うまでもありません。
それは、人智をはるかに超えたものです。
今回のパンデミック(感染爆発)が、
人工的になり過ぎた世界を変えるための文明のパラダイムシフト(文明の思考の転換)
だとすれば、それは、私たち人間が、
地球環境と自らの意識と行動とをより正常にするために起きた出来事だとも言えます。
意図も目的も持たないコロナウイルスは、
ただただそのために増殖し、
私たちを手助けしているだけのことかも知れません。
ウイルスを敵と考えるか?味方と考えるか?
その捉え方一つで、コロナ後の私たちの世界が、
その姿を大きく変えることだけは間違いありません。
広告から見えて来るコロナ後の世界 (2020/07/25 投稿)
ビジネスは、時代の空気にとても敏感である。
当たり前のことである。
従って、広告は時代を見事に映し出す鏡でもある。
これもまた間違いのないことだ。
これから、この国がどんな社会になって行くかが、
今ある様々なメディアの広告欄に、その姿が見事に表れている。
今朝、新聞の広告欄を眺めていて、ふとそのことに気づいた。
コロナウイルス問題が起こる前の広告は、
とにかくどうすれば儲かるか?
うまいビジネが出来るようになるか?
大金を手にすることができるか?
そんな成功者の話題の本等々、
世界中がそんな経済一辺倒の姿だった様に思う。
まさに、グローバル化経済を煽りに煽る。
そんなバブル一色の様相だったのだ。
ところが、このウイルス問題が起きて、
特に、ここ最近の新聞の広告欄には、
これまでほとんど目に入らなかった分野の本の広告が、
その大半を締めるようになった。
広告は当然、時代を反映して読者が興味を持つためのものである。
これから先の流行を作り出したい売る側の思惑も
そこから見えて来るのも当り前のこと。
その内容が、コロナ問題は言うまでもなく、
どちらかと言えば、これまでは二流、三流の話題として陰の存在だった、
言うなら少々地味な分野のものに変化して来ているのだ。
生活の仕方とか、生き方とか、年配者の体験本とか、
ふと微笑ましいと思える話題の本とか、
この世からあの世の話までじつに種々雑多なのだが、
これまでだとあまり売れそうもない、
主に、命について扱う本が多くなったと思えることだ。
未来を知るために、何も難しい本を読む必要はないのかも知れない。
これらの広告を眺めていると、
これからは、こうした内容が注目される時代になるのかと気づく。
テレビや雑誌、新聞の広告欄に、見事にコロナ後の世界が表わされている。
これまでは、かなり鬱陶しいと見過して来た広告欄も、有り難いものだと思えた。
マスクから見えて来るもの (2020/07/13 投稿)
これまで、どちらかと言えば陰の存在であったマスクが、一躍主役となっています。
このマスクに対する感じ方、考え方は、国や民族によって、また、一人一人にとっても、
その受け止め方に大きな違いがあるようです。
日本人やアジア人にとってマスクは、さほど抵抗のないもののように思われます。
危険な状況から身を守り、他人に危害を及ぼさないようにする。
しばし、他人との接点を遠ざけるために口を閉じ、自己表現をせずにじっと静かにして置く。
マスクはそんな心地良ささえどこかに感じさせてくれます。
マスクをすることは、日本やアジア人にとっては、
さほど厭なことでも反社会的な行為でもありません。
むしろ、社会が求める同調的行為でもあります。
一方、欧米人にとってのマスクは、どうやら全く異なるもののようです。
マスクは、「自分は病人である!」を表現することであり、他人からは、「あいつは病気の危険な人間だ!」をあえて知らしめる表現だとも言います。
マスクは、彼らが最も嫌う口を塞ぐ行為でもあるため、表現を封じ込めたり存在を否定されることにもつながるものなのです。
そうやすやすとは受け入れられるものではありません。
彼らが目標とする民主主義国家の中では、
守るべき自己の権利を否定する行為にもつながってしまいます。
マスクに対するこの感じ方、考え方の違いは、国や民族ばかりでなく、
一人一人の感じ方、考え方の中にも、その個性の違いが見事に表れています。
今、世界でマスクを巡る様々な医療的、政治的、暴力事件から殺人までもが起きているのは、
そうした人や社会や民族の核心的な感性や考え方に触れることでもあるからでしょう。
新型コロナウイルスは、明らかに、グローバル化社会へと向かう大きな引き金となりました。
一方で、そんな世界へと変わって行くことの難しさも見せてくれます。
人から社会の問題まで、見事に隅々までその詳細を炙り出しているのです。
それにどれだけ気づき、広く受け止め、新しい個々の生き方や社会のあり方に活かして行けるかが、今、一人一人に問われているのだろうと思われます。
「<悪魔払い>から見えること」 (2020/06/30 投稿)
現代人は、何事も科学的な視点で物事の正否を判断する。
コロナウイルスの問題では、現代医療やデジタル技術に大きな注目が集まっている。
その科学の力を持ってしても、見えないウイルスはなかなか手強い相手である。
かつて、インドネシアの島々には、「悪魔払い」と言う治療法があった。
名前からも分かる通り、いかにも非科学的な医術である。
しかし、その考え方には、科学では到底理解できない、
より本質で核心的な意味が隠されている。
悪魔払いでは、身体の病気は、自然と人間の肉体との不調和によって起こるものだと考えた。
心の病いは、人の心が、家族や友人や社会との絆が切れたことによって起きる問題だと理解した。
そのため、身体の病気を治すには、
自然との調和を取り戻す薬草を食べ、自然環境に身を置いた。
心の病は、家族や友人や社会との絆を取り戻すための言葉の力(呪術)
によってそれを癒すことを試みた。
科学の信奉者である現代人は、ウイルスの解決策はワクチンにあり、
世界中で噴出する絆の問題は、金や経済で解決するものだと考える。
時代が変わり、社会がいくら発展しても、人間の本質は今も昔もまったく変わらない。
戦争も欲望も昔のままである。
だからこそパンデミックは未だ終わらず、
こうして世界中で拡がり続ける。
そして、今後もまた、きっと起こり続ける。
ワクチンの危ない落とし穴 (2020/06/25 投稿)
新型コロナウイルスの解決策は、「ワクチン開発に有り!」との声が、
世界中で大きくなっている。
だが、ワクチンは本当に、パンデミック(感染症爆発)にとって万能薬なのだろうか?
そこには、大いに危惧すべき課題が孕んでいる。
今、世界中の多くの人は、とにかくウイルスに感染することに誰もが大きな恐怖を抱いている。感染すれば即重症化し、死に至るのでは?と言う恐怖だ。
しかし、現実は決してそうではない。
例えば、日本では、ウイルスに感染して治った人が9割以上もいる。
ワクチンはまだ未開発で、感染の症状を抑える薬もほとんどない状況なのに、である。
それは「なぜなのか?」だ。
その理由は簡単だ。感染して重症化し、その危機的状況を、
従来の医療技術で回復したごく一部の人を除けば、
そのほとんどの人は、それぞれの免疫力によって自然に治っているからである。
にも関わらず、「感染症の解決にはワクチン開発以外にない!」
と考える人が圧倒的に多いのはなぜなのか?
そこに、この感染症問題の大きな落とし穴がある。
そもそも、ワクチンとは、そう簡単には作れないシロモノだ。
通常、数年、もしくはそれ以上もかかると言われる。
さらに、それが出来たとしても、その時には、すでにウイルスが変容して、
使い物にならないこともあるとさえ言われる。
ワクチン開発に時間がかかる最大の理由は、
ワクチンには、効果以上に大きな副作用があるからだ。
その副作用の安全性を検証するために、何年もの時間が必要なのだ。
それほどワクチンは、ある意味で危険を孕んでいるものだ。
効果も期待できるが、危険性も同じようにある。
両刃の剣なのだ。
それが今、さらに危険なものになりつつある。
と言うことを指摘したい。
そもそもワクチンは、ウイルスから抜き出した毒性を希釈して体内に注入する(生ワクチン)と言うもの。
それが今では、遺伝子操作技術の発展で、接種よって起こる副作用も起こらないように、
遺伝子を操作、加工したものになりつつある。
つまり、これから開発されるワクチンの大半は、
従来のワクチン以上に身体に重大な問題を引き起こす可能性のあるワクチンだと言うことだ。
かつて、遺伝子組換え食品の危険性が問題視された時代があった。
今ではすっかり忘れ去られて市場で普通に消費されているが、
これと同じ問題が今回のワクチンにも隠れている。
いや、食品と違ってワクチンは、直接身体に注入するものだから、
それ以上の大きな問題を孕んでいる。
遺伝子組み換え食品は、その毒性が、栽培後、従来の組み替えていない
食品との違いが検証出来ないので問題が無い。
と言う何とも納得できない科学的論理でまかり通ってしまったものだ。
これからのワクチン開発もこれと同じ理屈ですんなりと法制化されてしまう危険性が大いにある。
このワクチンは、今後、全世界的に普及活動が図られて行くに違いない。
これは、ワクチンを期待する人にとっては朗報だが、
ワクチンの危険性に気づき、その法制化を阻止したい人々にとっては、
大変重要な問題である。
今、新型コロナウイルスは、文明のあらゆる問題を表面にあぶり出している。
その中で生き残って行くものが、これからの社会や世界の形となって行くのだろう。
この現代医療の問題は、これから私たちが否応なく抱えていかなければならない最も重大な問題の一つだ。
医療は、基本的に、一人一人が望む形で実行されるものでなければならない。
その基本的人権を超えた医療のあり方が、
これまで以上に強制される時代がやって来るのかも知れない。
この科学一辺倒の医療の迷走を、どう感染症の世界と共に乗り越えることが出来るか?
一人一人が真剣に考えなければならない時がいよいよ来たと感じている。
食の断捨離で免疫力を高めよう (2020/06/13 投稿)
秋からの新型コロナウイルスの第二波が心配されます。
ワクチンの開発以外に、その決定的な治病法が無いと言われるこの感染症では、
それ以外の確かな治療法は、未だどこにも存在していません。
それでも治って行く人の方が圧倒的に多いのは、感染者の多くが、
自己の身体が持つ「免疫力」によってこの病気を克服している証拠です。
つまり、免疫力さえ強ければ、例え感染しても大丈夫だと言うことなのです。
多くの人は、ひたすらウイルスに感染することを怖れますが、
あらゆる病気は、特別な病気や怪我の場合を除くと、
医者や薬が治すものではありません。
結局は、その人自身の免疫力によって治って行くものなのです。
「医者はただその手助けをするだけ」と言う一部の医療者の発言は、
まさに正直で正しい意見です。
免疫力とは、生来、誰もが身体の中に持っている<自然治癒力><治す力>のことです。
命は食から来るのですから、それらの力の源泉は、
日々食べる食べ物によって培われ、補充されています。
日々、どんな食べ物をどのように食べるかによって、その人の免疫力の強さ、弱さは左右されるのです。
今回明らかになったように、特に先進国での感染症の重症化や急激な悪化の原因は、
現代人の日々の食のあり方、美食、飽食による内臓の慢性的な疲弊や、
農薬や化学肥料、食品添加物一杯の現代食の劣悪化から来ているものです。
ウイルスの感染で重症化する人の多くがこうした食事によって引き起こされた生活習慣病を持つ人であることは、当然のことでもあるのです。
重症化した場合に、肺が壊され、全身が酸欠状態となり、
血管が傷つき、脳梗塞や心不全が起こるのは、何もコロナウイルスから始まったことではありません。
粗悪な現代食によって、すでにその土壌は、現代人の身体の中に十分に作られていることでもあります。
ウイルスは、ただその速度を急激に速め、増大させているに過ぎないとも言えるのです。
今回皆さんに提案したい対策は、食による「断捨離」です。
問題があれば、何かがまだ足りないと騒ぐのは、現代人の「モットモット病」の典型的な姿勢です。
しかし、それは、期待する免疫力を高めることにはなりません。
むしろ、粗悪な食の習慣は、すべての臓器を疲弊させ免疫力を決定的に弱めています。
それを断つことは、何よりも先にやるべき最優先課題なのです。
動物が、病気や怪我をした際にどうするかと言えば、断食をします。
食を断つことが、免疫力を最大に発揮することであることを彼らは本能的に知っているからです。
人間の身体にも、減食や断食をすると、自食作用(オートファジー)と言う細胞の汚れを落とす働きが始まることが明らかになっています。
三食を二食にしてみる。
一食の量を少し減らしてみる。
腹八分目。空腹を感じてから食べる。
そんなことを、ぜひこの機会に心がけてみたら良いと思います。
汚れた血液をどんなにかき回しても、免疫力は決して高まりません。
まず身体の中の掃除。
汚れを落とすことです。
この誰にでもできることをやることです。
このリスクのある食を減らすこと。
断捨離と掃除をすることこそが、今最も私たちが心がけなければならないことなのです。
ぜひ、日頃習慣で食べている食べ物の中身をもう一度確認してみて下さい。
嗜好品や身体にとって明らかに負担になるものに気付いたら、
まずそれを絶つことからやってみましょう。
そして、安全、安心の出来る無農薬の穀物や野菜を中心とした食べ物を、
一口100回以上、きっちりと良く噛んで食べることです。
「唾液は、自分で作り出せる最高のワクチン」です。
噛むだけで身体は大きく変わります。
どんな食べ物もゆっくり、しっかりと良く噛んで食べてみましょう。
一週間も続ければ、確実に身体は改善し、元気になった自分を感じることが出来ます。
結果、免疫力は間違いなく強くなっているはずです。
※食についての詳細は、以前に書いています。ぜひ参考にしてみて下さい。
〜パンデミックに学び未来を考える〜 「新しい世界に向かって」 (2020/05/14 投稿)
「地球はすでに特異点を超えてしまった」
2020年が始まってから、あっという間の半年でした。
コロナ騒動のこの時間も、どうやら次のステージに向かって進むことになりそうです。
私は今、先日発行されたばかりの「地球に住めなくなる日」デイビット・ウオレス・ウエルズ著を読んでいます。
この手の地球環境危機を訴える本は、以前から世の中に多くありましたが、この本では、いかに私たちの地球環境が、待った無しの状況にあるかが書かれています。
いや、それはもう、すでにその限界点を超えて破滅の領域に完全に踏み込んでしまったと訴えています。
こうした事実は、毎年起きている温暖化による自然災害で誰もが気づいているはずのことなのですが、
特に日本では、政治は元より、テレビなどのメディアでも実感を持って取り上げられることがほとんどありません。
まだまだどこか遠い星の話だと思われています。
「今後パンデミックは次々と起こる」
しかし、改めて言うまでもなく、私たちの住む場所は、この地球環境を置いて他にありません。
それは、今回のコロナ問題で、家や地域を失った人たち同様に、
いや、それ以上に明確に、代わりになるものが一切他には無いのです。
なのに、どうして私たちはその危機を、未だに真正面から受け止め、
可能であればその対策を講じようとしていないのでしょう。
他でもなく日本は特に!です。どうして、せめて今回のコロナ問題同様に、
ヨチヨチでもいいから国を挙げて取り組むべき問題だと願うのですが・・・。
今回の新型コロナウイルスの問題は、この事態に及んで、今中米が繰り広げている様に「どちらが犯人だ!」といった問題では決してありません。
よしんばその非がどちらかにあったにしても、このウイルスによるパンデミックは、今回も含めて、
今後秋にも、第二波、第三波、そして新たなウイルス出現によって来年にでも、そう長い間隔を置かずに次々と起きるだろうと想定するからです。
実は私は、そのほんのわずか先のことを今以上に、最も心配しています。
それは、この環境問題同様の状況にある、私たち人間の生命の危機の問題です。
「地球と人間は一つの生命」
かつて、百一匹目の猿の話が話題になったことがあります。
どこかで芋を洗って食べる猿が出現すると、遠く離れた所でも、次々に猿が芋を洗って食べる現象が起こった。という話です。
これは、シンクロニシティ(共時性)の問題です。
なぜ、今回のパンデミックが、これほど短期間に世界中に広まったのかは、環境問題と人間の身体性の退化が、
すでに世界中のあらゆる国々と民族の間で同時に起きていることだと思っています。
つまり、この問題は、環境でも人間の身体の上でも、すでに同時に、地域を超えた範囲で起きているシンクロニシティではないかと思っているのです。
だから、これほど早くどの国でも起きているのです。
ですから、今回の問題でいえば、今後、今回と同じようなパンデミックが、どこでいつ起きても、ちっとも不思議では無いと言う話です。
地球の環境同様に、私たち人間の身体が、すでに地球環境同様に、
自然の許容量を超えた次元にまで危機的状態になっている。と言う危惧なのです。
この地球の中でしか生きることのできない私たち人間の身体は、どんな場合であっても、この地球の生態系と一体全体、一心同体の関係にあります。
今回のコロナウイルスの発生は、ウィルスがあり、それがヒトに感染したことの問題にその確信がある訳ではありません。
真因は、地球環境の悪化と人間の体内の環境の悪化とが、シンクロして起きた事象でもあるのです。
これが、新型コロナウイルスが、これまでのウイルスと異なり、命を驚くほど急激に変化、重篤化させ、死に至らしめるウイルスであることの証明だろうとそう考えています。
人間が作り出した大量の薬物や農薬や食品添加物等の化学物質の長年の使用による多剤耐性菌ではないかと、そう考えているのです。
「人間の身体もすでに特異点を超えてしまっている?」
今後、地球環境に起きる災害が、これまで想像も想定もできなかった次元を超えた現象となることは、専門家の報告を待つまでもなく間違いありません。
すでにその予兆は、ここ数年の災害の中に見事に世界中で現れています。
その事実を知りたければ、ぜひ、この「地球に住めなくなる日」を読んで下さい。
実は、その地球環境の壊滅状態同様に、人間の命もまた、これと同じく、これまで想定もしなかった次元にまで退化していて、
いつでも深刻な病態が起きても少しも不思議では無い状態であることが想像されます。
対症療法でいくらワクチンを発明し続けても、それまでになかった身体の状況が次々と起きて来るのですから、ワクチンでは全く追いつくことが出来ません。
それどころか、私たちが望んでいる食事療法他の自然療法による治療もまた、もう、その人間の特異点を超えた不自然な身体の病状に対しては、
手の施しようがなくなってしまう状況が刻々と近づいてもいるのです。
いやもうそれもすでに、手遅れになっている次元になっているのかも知れません。
「近未来に想定される恐怖のシナリオ」
今回のパンデミックによって、社会は間違いなく大きく変わります。
グローバル化の立役者でもあるデジタル社会は、一気にこれからの社会にとってなくてはならない構造の一つになることでしょう。
その先に見えてくるのが、AIによる究極のデジタル社会の実現であり、
そこから生じることが予想される人工頭脳が支配するシンギュラリティ(ロボットが人間を支配する世界)の恐怖でもあります。
一方で、これと同時に起きると考えられるのが、人間の命の中の退化現象によって引き起こされるパンデミックを始めとした様々な病気による世界的爆発です。
これら外的環境の危機と内的環境である生命の危機的状況が、シンクロして起こるのが、
未来社会に想定されるかつて人類が全く経験もしたこともない恐怖のシナリオなのです。
かつて、地球全体が水で覆われてしまい人類が壊滅すると言うノアの洪水の神話がありました。
まさに、この話のように、私たちの近未来に起こると思われる環境破壊と生命の危機は、
こうした途方もない洪水現象が起こることが予想された神話でもあるのかも知れません。
「二極化して進む新しい世界」
しかし、もちろん、この地球環境の危機の問題も、人間の命の退化の問題も、そこから回避するための条件が100%なくなった訳ではありません。
特異点を超えてもなお、その危機を回避するための道を探ることこそが、人間がこの地球上に存在することの意味でもあります。
だからこそ、それは、他の動物にはない、人間だけに託された最大の課題でもあるのです。
4月2日、フランスの経済学者ジャック・アタリが、朝日新聞紙上で、次のように指摘しました。
今回の危機は、これまで社会に注目されていなかった命を守る経済価値の高さの分野を表舞台に露わにした。
それは、「健康、食、衛生、デジタル、物流、クリーンエネルギー、教育、文化、研究などの分野であり、これこそが、今後の社会を大きく変え得る鍵になるのだ」と・・・。
この大きく二極化するこれからの世界の潮流は、どちらが正か否かといった問題ではありません。
どちらも人間の成長にとって共に必要なものであり、この異なる二つの潮流のいずれをも、どうバランスをうまく取り、
極端に偏らずに発展させることができるか?が、人間に問われている課題なのです。
「人間の思考と行動の枠組みの変換が求められる」
今後、私たちがどちらの道をどうバランス良く進めて行けるのか?
今回のパラダイムシフトによって、どう新しい社会、世界を創造して行くことができるのか?
その道の選択の全てが、これからの私たちの思考と行動に託されています。
ウイルスは、それ自体で生存も増殖も叶わない存在です。
それは、私たちが作り出した人工的環境と人間の身体とで生み出した創造物でもあります。
ウイルスは、生命でもあり物質でもあると言った、どちらにも変幻自在に変わる実に不思議な、有って無い存在でもあるのです。
ありとあらゆるこの地球上の環境と生命との偏りを正すために存在する地球最大、最強のバランサーでもあるのです。
ウイルスを仲間に取り込めるか?
あるいは敵とするか?は、
これもまた、これからの私たち人間の判断力と行動力に任されています。
正しく恐れて正しく進むことが求められているのだと思います。
自宅で出来る簡単な食の対策 (2020/03/30 投稿)
中国で発生した新型コロナウイルスの感染拡大が止まりません。WHO(世界保健機関)からの世界的感染症爆発(パンデミック)の宣言はまだありませんが、今回の事態は、それを予感させるものになりつつあります。情報を的確に把握し、冷静に予防策を講じて置く必要があるかと思います。以下に簡単にまとめましたので参考にして下さい。
(1)「最大の予防策は<免疫力をどう高めるか>」です。
●免疫力の強さ弱さは胃腸の状態の良し悪しで決まります。
●胃腸に負担になりそうなものは極力食べないように心がけましょう。
●ウイルスは低体温や乾燥を好むので、身体をできるだけ暖かく保って下さい。
●体温を下げ胃腸を冷やす食べ物、飲み物は極力控えましょう。
●過度な仕事を避けてストレスを軽減し、十分な睡眠を取るように心がけましょう。
(2) 「日頃の食事を見直しましょう!」
●美食、飽食は内臓を疲弊し、免疫力を弱めます。
●外食は避け、自宅で食事をとるようにしましょう。
●空腹も大事、腹八分目を心がけましょう。
●農薬や食品添加物等の化学物質を使用した加工食品は可能な限り避けましょう。
●甘い菓子類、ジュース類、アルコール等の食べ過ぎは要注意です。
●動物性食品(肉、魚、乳製品等)の食べ過ぎも胃腸その他の内臓の負担です。
●油類、香辛料の多い食事は、胃腸を疲れさせ、特に肺に負担がかかります。
(3)「主食中心のシンプルな食事が理想的です」
●穀物と野菜中心の日本の伝統食を見習いましょう。
●玄米、雑穀類などの全粒穀物が免疫力を高めてくれます。
●副食よりも主食を多く食べるように心がけましょう。
●自然で新鮮な野菜も忘れずに食べて下さい。
●豆類、根菜類、海藻類もメニューの何処かに必ず入れましょう。
●味噌汁は最強のスープです。毎日しっかりと飲みましょう。
●醤油や漬物などの発酵食品も食べるようにしましょう。
●梅干し、ゴマ塩、昆布の佃煮などの常備食を忘れずに食卓へ。
●どの料理にも、極力白砂糖は使わないようにしましょう。
●飲み物は、番茶、茎茶、クズ湯、野草茶等の身体を温めるお茶を飲みましょう。(4)「何でも
しっかりと噛むことを心がけましょう」
●噛むだけで免疫力は確実に高まります。
●食べ物はどれも一口100回以上噛みましょう。
●ゆっくりと良く噛む食事を子どもと一緒に心がけて下さい!
●歯に問題がある人でも、ゆっくり食べて唾液を出すことが大切です。
(5)「家族の健康は自分たちの手で守りましょう!」
●免疫力の基本は食です。正しい食事を守り自分と家族の健康を守って下さい。
●マスクを常用し、手洗いやうがいはしっかりとやることが基本です。
●不要不急の外出は避け、自宅で規則正しい生活を送りましょう!
※以下のことには特に気をつけましょう。
●一般的な食事の傾向として、油と辛いものの組み合わせの料理が多いように感じます。これらは、今回の感染症、風邪や肺炎には、とても大きなリスクになります。
●さらに白砂糖を使った料理や甘いお菓子類などを頻繁に食べると、それだけで疲労感や微熱を生じることが考えられます。血液が汚れ、免疫力が下がり、口の中が乾いて、肺炎にとってはとても大きなリスクです。こうした食事は極力少な目に努力して下さい。
●また、動物性食品を過剰に食べると、血液が酸化し、微熱が出たり、咳や痰の元となり、胃腸などの消化器官が疲弊し、肺の炎症等にも大きなリスクとなります。感染症のリスクは高まる恐れがありますので十分に注意が必要です
●新型コロナウイルスの菌は特に低温や乾燥した環境を好むようです。いつも以上に身体全体を温め、胃腸も温めて冷やさないことが肝要です。特に子供や病人、お年寄りは腹巻きやホッカイロ等で胃腸を冷やさないようにしましょう。ショウガを入れたお湯でお腹を温めたり、足湯等も大いに効果があります。
●梅干し、梅醤油番茶(梅干しに少量の醤油と生姜おろし少々入れてペーストを作り、番茶を注いだ飲み物)、梅干しや昆布の黒焼き、蓮根や蓮根湯、クズ湯等が感染予防に即効性のある処方箋です。これらが手に入る人は、心がけたら良いかと思います。
●とにかく、安全、安心のできる食物をしっかりと良く噛んで食べることをおすすめします。唾液には、大きな滅菌、殺菌作用があります。お腹をすかせた状態を保ち、良く噛むことは、誰にでも、どこにいても出来る最大の予防策です。
「今回の感染症問題は、温暖化現象等の自然災害同様、今の時代が、いかに生命の危機の時代であるかを予感させます。今後ますますこの様な事態が頻繁に起こることが考えられます。環境問題同様に日頃の私たちの生活のあり方、価値観、食のあり方を問う問題でもあります。災害時には、自分や家族のいのちは自分たちの手で守るしかないことを忘れずに、今やれることをしっかりとやって下さい。」
〜文明のパラダイムシフト〜「ウイルスからのメッセージ」 (2020/03/29 投稿)
新型コロナウイルスによる世界的流行(パンディミック)が起きた。
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昨年末、中国で始まった感染症が今、世界中に広がっている。すでに54万人以上の感染者と2万4千人以上の死者が出ている。欧州では病院が感染者で溢れ、医療崩壊も起きている。今後は、東京やニューヨークなどの感染拡大が予想される。アフリカやアジアなどの途上国の流行も心配である。どこまで感染が広がるのか?どれだけ長く続くのか?予想もつかない深刻な事態となっている。
このパンデミックは、世界の社会システムを完全にフリーズ(凍結)させた。人的交流や生活の規制、商業活動の停止、文化やスポーツイベントの中止、都市間の移動制限や鎖国などだ。その厳しい規制によって世界では今、大規模な経済破綻や崩壊も起きている。企業活動が停止し破産も拡大している。政治や教育システムも完全に崩壊しつつある。今後は食糧危機や暴動さえもが心配される。
こうした感染症は、人類史上では次々に起きていた。かつて欧州を震撼させたペスト、天然痘、スペイン風邪等がそれである。文明が生み出すこれらの疫病は、それが多くの人に影響を及ぼすものであればあるほど、その社会的な責任が広く、そして重い。疫病は、その裏側に潜む社会や文明の課題をあぶり出す。
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この一見不明に思える疫病と文明の関連性について、2500年前、現代医療の神様と言われるギリシャの医聖「ヒポクラテス」はこう言った。「病気は、人間がより良い環境とは何かを知るために存在する!」と。まさに至言である。
東洋では、病気は自らの生き方に対する警告だと考えた。生活や価値観を変える好機とも捉えた。ヒポクラテスの言葉を借りれば、それが個々の問題を超えて社会に広く影響を及ぼす疫病は、その裏で社会の仕組みや人間の思考や行動を転換させる「文明のパラダイムシフト(思考の枠組みを転換させる)」となる。
近年も疫病は起きている。鳥インフルエンザ、豚コレラ、狂牛病などだ。家畜によるこれらの感染症は、家畜の生育を早めるために飼料に入れたホルモン剤や抗生物質などの薬物が原因であった。狂牛病では、本来草食動物である牛に、肉骨粉の肉食をさせたことが決定的な要因ともなった。この感染症は、命に対する様々な問題を社会に提起し、世界の食のあり方に大きな警鐘を鳴らした。
こうした課題は、数年前、世界保健機関(WHO)が警告している。抗生物質などの大量使用で多剤耐性菌が至る所で発生し、世界で数千万人が死ぬ怖れがある。そのために、世界中の医療機関に対して、薬物全般の使用を極力抑えるようにと警告したのだった。別な専門家によると、この多剤耐性菌によって、今後世界では十億人が感染し一億六千万人が死亡するかも知れないと予測している。
今回の新型コロナウイルスは、野生動物を食べたことでヒトへと感染したと言われる。人間の身体が、動物の菌が容易に移る環境になっていたからだろう。じつは、問題の核心は、その後に起きていた。乗り移ったヒトの身体が薬物で侵されていて、菌にとっては、生存も増殖にも適さない環境だったのだ。その適さない環境を生き抜くために、菌はより強力な菌に生まれ変わる必要があった。それが新型コロナウイルス誕生の真因だと推察される。
人間は今、人類史上かつて無いほどの大量の薬物、化学物質を環境から、また口から直接に体内に摂り込んでいる。こうした薬物や化学物質は、自然の生態系にとっても、また生命体にとっても異物であり、敵対物である。従って、薬物や化学物質は、使えば使うほど生態にも生命体にも、その異物を排除しようとする力が働くのだ。結果、薬物や化学物質に勝つ強力な多剤耐性菌が生まれる。
パンデミックによる文明の転換は、今後、どの様なゴールを目指すのだろうか?それには大きく二つの目標があると思われる。一つは、文明の舞台である地球環境の破壊に歯止めをかけることであり、もう一つは、この文明を造った人間の思考と行動を変えることだ。言うまでもなくその鉾先は、経済優先、便利さ優先、物欲、人間欲に暴走、狂奔するグローバル社会に向けられている。生物であって生物ではないとも言われるウイルス。自己主張をせず、ひたすら偏った環境を正すことに全力を傾ける。そんな影のようなウイルスの存在無くして、この地球上の生態系も生命体も存続できない。生命にとっても、地球にとっても無くてはならない存在である。多くの人は、「ウイルスは最大の敵だ!」と言うが、その人間が、地球にとっては何よりも厄介なウイルスかも知れない。
中国には、「危機はチャンス」という諺がある。日本には「禍を転じて福となす」という言葉がある。いずれも人間を自然の一部と考え、危機を転換の好機と捉える素晴らしい発想である。現代人に地球と共生する道を促し、自然に即した思考や行動を求める。そのために文明の偏りを正す。それこそが、今回登場したウイルスからのメッセージなのだと思う。
食による感染症対策について (2020/01/31 投稿)
「感染症の更なる拡大が心配されています」
中国武漢から始まった新型コロナウイルス感染症。すでに日本やアメリカ、ヨーロッパやアジア数カ国へも拡大し、更なる感染が心配されています。
この感染症は、動物からヒトへヒトからヒトへと感染を引き起こすものと言われていますが、媒介者によってより強力な耐性菌へと変容する可能性があり、それらの対策法が無いことが大いに心配されています。
今後どのような形で拡大するのか?あるいは収束の方向へと向かうのか?世界保健機関(WHO)が見守る中、世界中がその成り行きを注視しています。
「感染するかしないかは免疫力の強さ弱さで決まります」
この感染症に対する予防策は、人混みの場所にはできるだけ行かない。日々マスクやうがいを心がける。だと言われていますが、それだけでは決して十分ではありません。そのことが次のような事実からも分かります。
先頃、中国の感染症の第一人者と言われる医師が亡くなりました。医師のように感染症の内容を十分に理解し、ほぼ完璧な防御策を取っていたにも関わらず感染する場合があるからです。
一方で、家族や友人に感染者がおり相当強い接触があったにも関わらず、感染しない事実があることもまた判明しています。
この事からも分かる通り、今回の新型コロナウイルスによる感染症は、より感染しやすい人と感染しにくい人がいると言うことです。つまり、感染するかしないかは、その人の「免疫力の強さ弱さによって決まる」と言うことなのです。
「日頃の食を見直しましょう」
食による予防策は、みなさんの日頃の食事のあり方を見直すことからです。
普段から、飽食、美食の習慣がある人は特に注意が必要です。また、食に無関心の人も、この際にしっかりと自分の食の内容を見直してみることが肝要です。
ごく一般的な食事だと思う人は、食の質の悪さから生じる血液の汚れが心配されます。細胞内に多くの毒素が溜まっている場合には、感染症の大きなリスクになります。内臓は間違いなく疲れているので、確実に免疫力も低下し、感染し易い身体になっていることが考えられます。
これは、どんな病気の場合にも言えることですが、血液が汚れていることが最も危険なことですから、その血液を、最低限きれいにして置くから始めなければなりません。そのためには、以下のようなことをしっかりと心がけて下さい。
「化学物質の摂取を極力減らしましょう」
日頃何気無く食べてしまっている農薬や化学肥料で栽培された野菜や食品添加物一杯の加工品。これらの薬物や化学物質のいっぱいの食材の摂取を極力避けることが第一に心がけることです。
化学物質は、確実に身体の中の菌に対する抵抗力、治る力を低下させます。菌を排除する体内の有機的な働きを鈍くさせます。この状態を改善することは、感染症から身を守るための何よりも大切なことです。より良い体内環境を作ることをぜひ心がけて下さい。
「甘いお菓子やアルコールの取り過ぎは要注意です!」
その上で、今特に注意をしなければならないのが、白砂糖を使った甘い菓子類を食べ過ぎです。これらは、免疫力を最も弱くする食材だと言うことをしっかりと頭に入れて置いて下さい。
こうした身体は、異物を体外に排出する力や抵抗力を弱め、大切な栄養や全身に酸素を運ぶ力も鈍くさせます。慢性的な酸欠状態状態によって肺も弱まり、酸素が身体の隅々にまで十分運ばれません。その結果、免疫力が極度に低下していて感染症に冒され易い身体になっている可能性があるのです。
また、過度なアルコールの摂取も、免疫力を弱くする大きな問題です。日頃無意識に飲み過ぎるジュースのような飲み物も、多くならないように気をつけた方が良いでしょう。
白砂糖、果汁、アルコール等は、感染症で起こると言われる肺炎にとっては、最も大きなリスクとなります。十分に注意をして下さい。
また、動物性食品の過食もまた、上記の食べ物を引き寄せる大きな誘因となります。これらは血液を酸性化させ、感染しやすい身体を作ります。今回の感染菌が、動物由来のものであることを考えると、動物性食品の過食は、そうした菌を最も受け入れやすい身体を作ることにもなります。十分に注意が必要です。
「感染を予防し免疫力を強くする食事を食べて下さい」
予防に力を発揮するのは、良質の穀物(玄米/全粒穀物)と新鮮な野菜を中心とした食事です。
中でも玄米は、身体の免疫力を高めるために抜群の効果を発揮します。玄米を良く噛み、新鮮な野菜をたっぷり食べることで良質な血液が作られます。
その上で、より身体を強くするものの例として、味噌汁や漬物などの発酵食品があります。ゴマ塩なども血管を強くし、菌を抑制する効果があります。豆類や海藻類も良いでしょう。この際、これらのものをしっかりと食べましょう。
ただし、どの料理にも砂糖類は使わない様にしましょう。特に、咳などが出て肺炎が心配される場合に絶対にいけません。咳には、蓮根をはじめとした元気な根菜類を食べることです。梅干しを入れた番茶や生の蓮根の絞り汁にお湯を注いで、ひとつまみの塩を入れた梅干し番茶や蓮根湯なども効果的でしょう。手に入るなら、蓮根の実などもおすすめです。
「免疫力の強さ弱さは胃腸の状態次第で決まります」
免疫力の強さ弱さは、胃腸の善玉菌、悪玉菌の多さ少なさで決まることが科学にも解明されています。これはどんな病気にも共通することですが、感染症の予防には、何よりもまず胃腸の状態を整えることが必要です。
その食材の一つが、葛湯(クズ湯)です。これをしばしば使うのが良いでしょう。水で葛湯をよく溶かしてかき混ぜながらゆっくりと火にかけて作ります。濃い目の葛湯に梅干しと生姜の汁と醤油を適量混ぜたものは、更に胃腸の状態を良くする効果があります。
低体温、低血圧、貧血気味の人は感染症には特に気をつけなければなりませんが、とにかく胃腸を冷やさず、体温を下げないことです。子どもの予防策にもこの葛湯は必須のもの。ぜひ、しばしば食べさせて下さい。
甘い菓子類の他、果物やジュース類も体温を下げたりお腹を冷やしたりする作用があります。肺も弱めますので、出来るだけ避けるようにして下さい。
「どんな食べ物でもしっかりと噛むことが必要です!」
さらに、免疫力を高めるための秘策が、「食べ物をしっかりと噛む」と言うことです。
日頃ほとんどの人は、あまり噛むことがないと思いますが、この際はしっかりと噛みましょう。噛む回数を増やすだけで、確実に免疫力は上ります。玄米に限らず、根菜類も野菜も、どんな食べ物もしっかりと噛んで食べて下さい。
すでに、噛むことによって脳へは酸素が20パーセント以上も多く送り届けられることが分かっています。また、噛めば臓器も骨も強くなり、毒素を身体から排出する力も高まります。歯に問題がある場合には、口の中で食べ物を良く味わうだけでも唾液はしっかりと出ます。
一口最低50回から100回は噛んで下さい。もっと噛める人はさらに噛んでももちろんオーケーです。唾液は、どんな薬よりも大きな感染予防の薬です。良いと思われる食事がなかなか出来ない人でも、噛むことだけはできるはずです。それだけでも立派な予防となります。
「食養生を心がけ家族の健康をぜひあなたの手で守って下さい」
感染症の菌は、どこからやって来るか分かりません。現代社会の中で、人に全く触れずにいることは不可能です。
そんな社会環境の中では、どこにでも危険な細菌は潜んでいます。今回の感染症も、どのような経緯であなたの身近なところに飛んで来るかも分かりません。 しかし、例え細菌を吸い込んだとしても、それにしっかりと抵抗できる力が備わってさえいれば、感染しないことも十分に可能なのです。ぜひ、そうなる身体を今から準備しておいて下さい。
今後、感染症はますます頻繁に起こることが予想されます。全ての課題を自分の力だけで防ぐことは困難ですが、簡単な食の取り方一つでもあなたの出来る感染予防になります。
より良い食事をできるだけ守り、日々、適度な運動も心がけ、十分な睡眠も取り、可能な限り規則正しい生活を送ることです。ぜひ実行して下さい。他人当てにせず、日々の養生を怠らず、あなたの手で大切な自分と家族を守って下さい。よろしくお願いします。
AI(人口知能)時代の到来で人間の未来はどうなるのか? (2019/01/10 投稿)
- 新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。 2019年1月7日
平成の時代が間も無く終わる。日本に限らず、世界は今までになく大きな変動の時期を迎える。その最も大きな課題が、AI(人口知能)の問題。これまで人間がやって来た仕事の大半をロボットがやる様になり、結果、人間の仕事がどんどん奪われて行く。多くの人が失業を心配し始めている。
しかし、その頃にはベーシックインカムの制度で、誰もが国から平等に生活費をもらえるようになるかも知れない。人間が食べるために働かなくても良くなる。まるで夢のような社会が到来するかも知れないのだ。
だが、その反面で、ロボットが人間よりも賢くなり、人間を支配するかも知れないと言う心配もある。未来の人間は一体どうなるのか?文明の便利さの裏側には必ず落とし穴がある。時代はいつでも金太郎飴で、どこを切っても変わらない顔が浮かび上がって来る。文明の進歩は、いつでも人間の退歩と差し引きゼロなのだ。
ロボットがどんどん優秀になって人間化する裏側で、人間がどんどん退化してロボット化する姿が見え始めている。頭が切れる若いリーダーたちを見ていると、まさに、コンピューターそのものだ。情報を処理する能力はとても速いが、会話の内容がデジタルで、人としての面白味も凄さもあまり感じられない。
人体の一部である脳は、身体全体からの情報によって様々なことを認知、判断していることが最近の人体科学で解明された。一部は全体に、全体はいつでも一部とリンクしている。手相や望診など、古来からの東洋医学の真髄だ。
脳だけの情報処理で人間を超えるロボットが実現するはずがない。妄想である。何でもロボット任せの便利な時代には、身体感覚を失った頭だけがロボットの人間しか居なくなる。「人間とは一体何か?」を、真剣に考える時代である。
- 新年明けましておめでとうございます。
中国にも広がる自然農法 (2018/12/12 投稿)
- 先日、以前から縁のあった中国の知人に招聘されて中国に行って来た。そこは、上海に隣り合う杭州の観光地「富春江」。四方を大河で囲まれ古代から山水画の風景としても良く知られている地域である。一帯が国立公園の中にあることからも分かる通り、じつに風光明媚なところであった。
そんな大河の川辺に、古い家屋をリフォームした素晴らしい宿泊棟等が並んでいる。内部は伝統的な中国風に改修されていて、日本風の大きな風呂もある。そんな今風の見事なリゾートホテルに創り上げていた。
これまでも多くの観光客を集めていた人気のホテルだが、今後は、自然生活を希望する人たちを対象にした、新しいライフスタイルが学べる会員制のホテルにして、自然生活を実践する人たちを中国に広げる拠点にしたいのだと言う。
驚いたのは、そのホテルの敷地内で自然農法の野菜作りがされていたことだ。その農法を指導していたのが日本人だったことも更なる驚きだったが、日本でもまだ知る人が少ない自然農法をすでにしっかりと実践していて、中国の成長、発展するスピードの速さを知り、改めてびっくりさせられた。
冬で植えられている野菜の種類はそう多くはなかったが、ホテルで利用される野菜が畑の中で元気に育っていた。食事の度にこの野菜を食べたが、日本のそれと全く変わらず、自然野菜ならではの美味しい味であった。オーナーは、今後さらにこの面積を広げて行く計画なのだと言う。
未だに、農薬や化学肥料を使う旧来の農業が幅を利かせている日本。これまで遅れをとっていた中国が、すでに一歩も二歩も日本を飛び越えた農法に取り組んでいる姿は、じつに頼もしく思えた。日本も、もっと中国の良いものを積極的に取り組む姿勢を見習うべきだと思う旅であった。
- 先日、以前から縁のあった中国の知人に招聘されて中国に行って来た。そこは、上海に隣り合う杭州の観光地「富春江」。四方を大河で囲まれ古代から山水画の風景としても良く知られている地域である。一帯が国立公園の中にあることからも分かる通り、じつに風光明媚なところであった。
<幸福の青い鳥>は何処にいる? (2018/12/12 投稿)
- チルチルとミチルが幸福の青い鳥を探して歩くメーテルリンクの童話。人は誰もが<幸福の青い鳥>を探して生きている。当然、自分もその一人だった。青春時代、その青い鳥を求めて色々なことに挑んでみたが、なかなか見つけることが出来なかった。
自分がその青い鳥を見つけた場所は<食の世界>だった。その後、いつの間にかそれがライフワークとなった。食を変えることで体が変わり、心も変わってくれた。
言うまでもなく、いのちは食で作られている。食べ物が血液となり細胞となって体を作る。心と体は、区別のできない表裏一体のものだ。体が自然や宇宙と響き合い、そこから生まれる波動が心となって現れる。食の世界を知ったお陰で、青い鳥が自分のいのちの中に居ることを知った。
「人は誰もが生まれつき透明なガラスである」と言ったのはマクロビオティックの創始者の桜沢如一だ。色々なものが見えなくなるのは、食の無知が原因で体のガラスが曇ってしまうからだと教えた。
自分は今幸福か不幸か?自由か不自由か?を判断するのは、いつも自らの内なる感性と判断力である。幸福の青鳥が自分の中に居ることが分かると、外の世界を探して歩く必要がなくなる。食を変え判断力を研ぎ澄ませて体と心の曇りを取り除けば、いつでも青い鳥に会うことができるからだ。
マクロビオティックと言う食べ物による健康法は、そのありかを教える扉であり、「半断食」は、そのカゴの扉を開ける鍵である。そんな鍵を手に入れた自分はとても幸福だといつもそう感じている。チルチルとミチルの童話は、子どもにも大人にも読み続けて欲しい幸福探しの真理を伝える永遠の名作である。
- チルチルとミチルが幸福の青い鳥を探して歩くメーテルリンクの童話。人は誰もが<幸福の青い鳥>を探して生きている。当然、自分もその一人だった。青春時代、その青い鳥を求めて色々なことに挑んでみたが、なかなか見つけることが出来なかった。
小食、小飲のすすめ (2018/10/16 投稿)
- 世の中は「もっともっと」の時代。体調が悪いと何かが不足していると思うし、風邪を引くと、医者でさえ、栄養のあるものを食べて休みなさい。と言う。
過剰なら安心だが、わずかでも不足を感じたら、たちまち不安になってしまう。一億総「不足神経症候群」とも言える時代である。
しかし、モノの過剰はゴミが増えるくらいで済むが、食べ過ぎは、即、病気の発症につながる。国連の世界保健機関(WHO)でも、今では、ガンやエイズの死者数よりも、肥満による死者数を危惧している。人類の歴史は飢餓の歴史であり、人のDNAには、飢餓に対する備えはあるが、肥満を防ぐ仕組みは未だに備わっていない。
現代人の食べ過ぎの一番の原因はストレスだ。好きなものをたらふく食べることほど簡単なストレス解消法は無い。問題は、食べ物の質の悪さだ。農薬、化学肥料、食品添加物一杯の劣悪な食を過剰に取れば、病気になるのは当たり前。そうなることが心配なら、せめて安全、安心のできる良質な食べ物を食べること。これが、健康を守るための最低の条件だ。
犬でも猫でも、病気になったり怪我をすると、自ら進んでものを食べない。腹を空かせることが免疫力を上げて、病状を改善する一番の近道であることを本能的に知ってるからだ。調子が悪かったら少食にする。腹を減らしてみる。老子の「足るを知る」は、健康法にこそ必要な名言である。
- 世の中は「もっともっと」の時代。体調が悪いと何かが不足していると思うし、風邪を引くと、医者でさえ、栄養のあるものを食べて休みなさい。と言う。
雑草から学ぶこと (2018/10/16 投稿)
- 都会の暮らしに憧れる人がいる一方で、自然環境での生活に惹かれて自然の暮らしに憧れる人も多い。確かに自然の暮らしは素晴らしいものだが、そんなに楽しいことばかりでもない。自然と向き合話なければならない大変なことが一杯ある。
ここ京都の里山でも、そこそこに苦労することがある。その一つが草刈りだ。東北では、草刈りは年に二度もすればどうにか済んだが、ここでは、とても二度くらいの草刈りでは済まない。草の成長が驚くほど早く、5、6回は必要だ。ちょっと手を抜くと、たちまち庭も畑も草でぼうぼうになってしまう。綺麗な環境づくりに努力する農家の人に対しても、風景を乱すようで恥ずかしい。
その草刈りで悩ましいことの一つは、雑草の中に生えている可愛い野花を切ることだ。しかし、それを躊躇していたら草刈りが出来なくなる。いつもバッサリやって後悔する。そんな連続だ
そんな雑草を見ていて驚くことは、彼らの生命力の強さだ。暑かろうが寒かろうが、大雨が降ろうが降るまいが、どんなに厳しい環境下でも、見事に生き抜く。枯れたり腐ってしまうことなど滅多にない。いつでも青々と葉を茂らせている。改めて考えると、すごいことである。
それに比べたら、畑の野菜のあまりにもデリケートなことにも驚く。わずかな栄養や水が不足してもたちまち成長が止まり時には枯れてしまう。いつも栄養をたっぷりと与え続け、虫の害からも守らねばならない。手をかけなければ思うように育ってくれないのが畑の野菜だ。
この違いは一体何だろう?なぜ、野菜はあれほど繊細で、雑草は強いのか?もし、野菜を雑草のように作れたら、どんなに野菜づくりが楽で食べて美味しく、且つ、健康な野菜が食べられることだろう。雑草の強さの秘密は一体どこにあるのか?
その秘密の一つは、耕さない大地にある。自然の草地は、どんなに大雨が降っても崩れることも流れることもない。福島の山奥で経験済みだ。一方、人間の手で耕した大地は、ほんのわずかでも削ったら、たちまち表土が流れてしまう。削ることで大地の巧妙なバランスが崩れるからだ。
もう一つの秘密は、雑草は、あらゆる種類の草と混在していることだ。この多様性が、雑草が持つ生命力の一番の強さの秘密ではないのか?動物も植物も生命の世界は驚くほど多様性に満ちている。だからこそ、どんな環境下にあっても互いの力で補い合い、助け合って生き延びて行けるのだ。
現代は、経済と機能性が優先され、多様性を失う時代とも言われる。異なる者を認めたがらないエゴは、その弱さの裏返しでもある。多様な人間の交わりを認めない社会は脆弱で、やがて衰退する運命にある。雑草のように他者を尊重し、多様性を認め、互いに助け合うことこそが、危機的時代と言われるこれからの社会には一層必要だろう。雑草から学ばねばならないことである。
- 都会の暮らしに憧れる人がいる一方で、自然環境での生活に惹かれて自然の暮らしに憧れる人も多い。確かに自然の暮らしは素晴らしいものだが、そんなに楽しいことばかりでもない。自然と向き合話なければならない大変なことが一杯ある。
疫療法への期待と不安 (2018/10/08 投稿)
- 今年もまた、日本人がノーベル賞(医学生理学賞)を受賞した。
京都大学の本庶佑特別教授の免疫に関する研究が、ガンの増殖を抑える効果が期待される新薬へとつながる画期的な発見だと評価されてのことである。
最近、免疫に関する研究が注目を浴びているが、これは、裏を返せば、ガンの三大治療と言われる「手術、抗がん剤、放射線」などの治療法が大きな壁にぶち当たり、思うような結果が出なくなってしまったことの証しでもある。
現代医学は、症状を消すことを主眼としたいわゆる対症療法である。本庶教授はこれを、免疫と言う生命の自然な仕組みを利用して解決できるのではないかと考え、これまでの治療法の転換となり得る発見へとつながった。
これを教授は、「欲求充足型」の治療から「不安除去型」の治療への転換と表現しているが、人為の治療から自然の視点を重視する医療へ、根本療法である自然医療時代への幕開けを暗示するかも知れない興味深い提言でもある。
本庶さんの受賞は、1928年にイギリスのアレクサンダー・フレミング博士が世界初の抗生物質であるペニシリンを発見したノーベル賞に匹敵するものだと高く評価されている。
そのペニシリンは、現代医療の基礎となる抗生物質を代表する薬として、戦時中多くの兵士の命を救い、その後、世界に蔓延した肺炎や結核などのあらゆる病気にもその効果を発揮した「奇跡の薬」と言われた。
しかし、この抗生物質が頻繁に大量に使われて来た結果、近年、多くの多剤耐性菌の出現を促し、やがてガンやエイズ以上の危機的状況を引き起こす可能性があると世界保健機関(WHO)が発表。医療界に対して、抗生物質の使用を極力控えるようにと警告している。
人間は、科学の知見に基づいた医療の世界で、生命の自然な営みとのイタチゴッコを繰り返して来たが、このペニシリンの例にある大きな代償は、今後、その勝者がどちらにあるのかを明確に暗示している様にも思える。
本庶教授の研究は、免疫と言うより根本的な「治る力」に踏み込んでいる点では大いに評価できる。ただ、その免疫の働きを薬物でコントロールしようという点は気になるところだ。免疫のアクセルとブレーキは、生命全体の巧妙なバランスの中で確かな理由があって自然に最良になされていることだと思うからである。そのブレーキを人間の都合で一切外してしまっていいのか?その不安が残る提言でもある。
治療が人為的に、且つ、核心的なアプローチに踏み込めば踏み込むほど、自然の側からのバランスを取ろうとする力は強く働く。それを医療の世界では副作用と呼んでいるが、その事例を我々は抗生物質であるペニシリンの例から学んだ。
今回の治療法が、果たして多くの人が期待するガンを治すための夢の満塁ホームランとなるか? 医療の未来を変えるとも言われるこの免疫療法が、今後、ペニシリンと同じような結果を背負わずに済むことを祈るばかりだ。
- 今年もまた、日本人がノーベル賞(医学生理学賞)を受賞した。
水の話 (2018/08/05 投稿)
- 熱中症の基本的な対処法は、「十分に水を飲むこと」である。ただし、水だけをやたらとガブガブ飲んでも危険だとも言われている。
それは、過剰な水分によって血液中の塩分濃度が薄まり、それを修正するために体が自動的に過剰な水分を皮膚から発散させ体内のバランスを取ろうとする。そのことから起こる熱中症もあるのだと言う。バランスの良い水分と塩分の取り方がいかに大事かと言う教えである。ところで、この危険な水分中毒に関して言えば、今のような猛暑に限らず、常日頃から現代人が水分を過剰に摂取しなければと言う恐怖心がある。医師などからも、とにかく水分はたくさん取れ!と言われることから、知らぬ間に水分は大量に飲むほどいい、と言う気持ちになっている。
この水分摂取症候群のもう一つの理由は、現代人が慢性的な体の中の焼けを持っている事実だ。それは、動物性食品である肉や魚、乳製品や揚げ物、甘いお菓子やスイーツ等々、飽食、美食を代表する食材や料理の味付けなどからも、とにかく体を熱くするものを食べ過ぎていると言う事実だ。
こうした食習慣が続くと、知らぬ間に多血型の体質となり、血圧も高く、始終体の中が油焼けしている状態となってしまうのだ。そんな人が大半だけに、医師もまた、とにかく水をたくさん飲めと進めるのだろうし、本人もまた、どこかでそれを実感しているだけに一生懸命に飲んでしまう。
しかし、そんな習慣を、平均的な気温の時にやっていてはあまりよろしくない。その理由は、人の体には人それぞれに異なる体質や状態があり、それに合わない過剰な水分を取りすぎると、やはり水中毒となって、人によっては血圧や体温が下がり血液が薄まることで冷えともなり、状態が悪化する人が少なくないからだ。水分の量はあくまでも、自分の体の状態に合わせた取り方が大事だと言う話である。
この異常な暑さにも、危ない暑すぎる体と安全な涼しい体があるのだと言うことを忘れないで欲しい。熱中症の対策を、水分だけに頼らず、熱い体を作る食事を減らし、涼しい体を作ってくれる食材や料理を心がけることが大事だと言う話である。最も簡単なのは、「安全、安心な野菜をたっぷり食べ」涼しい体を作ることだ。ぜひ参考にしていただきたい。
- 熱中症の基本的な対処法は、「十分に水を飲むこと」である。ただし、水だけをやたらとガブガブ飲んでも危険だとも言われている。
カエルの話 (2018/08/05 投稿)
- つい最近まで、暑い夏の気温は30度を超えるもの。と言う感覚があった。しかし、今年に限って言えば、もはや30度は涼しい気温だという気がする。
こうして現実に連日40度近い温度になってみると、今や35度だって早くそうなって欲しいと思うほどの気温だ。それほど危ない異常気象が、日本に限らず今世界各地で起こり始めている。
こうした温暖化による気温上昇の警告は、もうだいぶ以前から言われていた。それは、数十年前から確実に始まっていて、今では、誰もが肌で感じている冬の大雪やその反対の雪の減少も、そんな表れの一つだろうとは思ってはいたが、この頃では、そんなことはもはや当り前のことになっていて、今年の猛暑こそが、その温暖化の危機をリアルに体で感じさせてくれるものだと実感する。
しかし、多分、この猛暑もまた今後引き続き起こるとすれば、間違いなくこの異常な暑さや洪水などの自然災害も、また、いつしか当たり前のことになってしまう。これこそが実は、恐ろしいことなのである。
この人間の環境への慣れの危険性を、かなり前から科学者は、「カエルの話」としてよく例え話でしていた。
それは、カエルをいきなり鍋の中の熱湯に入れると、当然、カエルはその熱さにびっくりして鍋から飛び出すが、水から入れて時間をかけてゆっくりと温めて行くと、熱湯になった段階でも鍋の中にとどまっていて、本人も気づかない内に死んでしまう。と言うものである。
これこそが、まさに我々が今抱えているいのちの現状だと言う気がする。地震も洪水も台風による大災害もここ数年は次々に起きているが、もう我々自身があまり驚かなくなってしまっている。この猛暑もまた来年起きたとしても、もうさほどこの暑さも多分、もう驚くこともなくなるだろう。
人類消滅の危機とさえ言われる気候変動と自然災害の多発。個人も社会も、さしたる対策を講じられないままでいると、人間は、まさにこのカエル同様の結果を迎えるに違いない。
そんな危ないことが山ほどある社会だが、こと地球の未来や人類の生死に関わる環境異変とそこから起こる数々の災害に関しては、いつでもしっかりと事態を判断し、冷静に見る目を養って、可能な限りの対策を講じる努力を怠らず、慣れてはいけないこと!なのだと思う。
- つい最近まで、暑い夏の気温は30度を超えるもの。と言う感覚があった。しかし、今年に限って言えば、もはや30度は涼しい気温だという気がする。
涼しい体で猛暑を乗り切ろう! (2018/07/29 投稿)
- いのちの危険を感じるほどの暑さが続いている。
気温が気象観察史上初の41度を記録。熱中症による死者数が過去最多の1週間で65人となり、天気予報でもいよいよ気温が危険水域に入ったことを警告している。
熱中症からどう身を守るか?その対処法がメディアで色々報道されているが、その多くは、十分に水分を飲む、塩分をとる、屋外での運動は極力避ける、睡眠時には冷房を欠かさない、と言ったもの。
ただし、めまい、だるさ、吐き気を感じたら迷わず救急車を呼ぶ!ことだと注意を促す。
さらに、この熱中症より恐ろしいのが「夏血栓」だと医師は警告する。それは、脱水症状で血液が濃縮し、血管内に血栓ができ、脳梗塞、心筋梗塞、肺塞栓症などの症状を引き起こすと言うもの。
これは、一刻の猶予もならない深刻な事態だと言う。
この異常な暑さをどう乗り越えるか?一般的な対処法とは少々異なる食の視点からのを提案してみたい。それは、日頃食べている食べ物の性質を知って、体を暑くするものを極力避け暑さに強いより体を涼しくするためのコンディション作りをどうすれば良いのか?というアイデアである。
例えば、痩せ型で一見弱そうに見えるタイプが意外にも暑さに強いと言ったことがある一方で、肥満タイプでいかにも元気そうに見える人間が、案外、暑さにはとても弱かったりもする。
これは、痩せ型の人は、和食のように比較的おとなしい野菜や穀物などを中心とした低カロリーの食事をとる傾向があるので日頃から体温もそう高くはなく熱がこもりにくい体を持っているからだ。
反対に、肥満タイプの人は、カロリー過多の動物性食品が多い傾向があり、体がいつも熱い状態になっているので、血液も固まり安く、血栓もできやすい。猛暑の中では大いに注意が必要な体だ。動物性食品を減らし、美食、飽食も慎む。このタイプが体を涼しく保つためにはとても重要なポイントである。
その良い例は、熱帯地方に住むインド人だ。
彼らの多くは、日頃、野菜食(ベジタリアン)が中心の食事である。小麦を焼いたナンを主食に野菜のカレーを毎日のように食べている。この香辛料は、血液の流れを良くし体にこもった熱を体外に放出する効果があるので熱帯地方の気候風土にはとても適している。
では、日本人はどうすれば良いか?その例を以下に列挙してみる。
すでに食べている人も多いと思うが、冷たいそうめん等の麺類は、まさに夏の食べ物だ。
ダシには、血液をサラサラにする効果のある椎茸、わかめ、大根等をたっぷりと入れて作る。そして普段以上に野菜をたっぷりと食べることだ。
今がまさに旬のキュウリ、トマトなどのサラダに、ドレッシングには梅酢かレモンか酢を使う。梅酢は特に夏場の弱った胃腸にはとても有効で食中毒の予防にもなる。また、ナス焼きや冷奴も体を冷やす。生姜やネギやシソの葉などの薬味をたっぷりとかけて食べることだ。
また、普段飲んでいる暖かいみそ汁を一旦冷蔵庫で冷やして飲むのもいい。
適度な塩分が取れる上に体も暑くならずに済む。キュウリやトマトやナス、冬瓜やズッキーニなどに、生姜や香辛料少々多めに入れた冷たい野菜スープなども体を涼しくしてくれる。これを水代わりに飲んでもいいだろう。
また、そうめんやうどんにキュウリやトマト、ネギをたっぷりと乗せたカレー麺も大いにおすすめできる。
こうしたあっさり野菜の食事が続いていて体力の低下が心配になったら、世間で言われる油がこってり乗ったうなぎも悪くはないが、日頃野菜食でうなぎに抵抗感のある人は、野菜をたっぷり添えた白身の魚料理などもいいだろう。
魚が欲しくなかったら、冷たい玄米のおかゆを梅干しやゴマ塩などで食べるといい。
トロロ芋をかけた麦飯などもいい。その麦飯に納豆を乗せて食べるのもいい。小豆を入れたおかゆはとても元気が出るし、黒豆や小豆、枝豆などは、水分過多の今の時期には緩んだ腎臓を優しく守ってくれる。
また、スパゲティやマカロニなどを野菜と一緒に食べるのは、油不足を補うためにもとても有効だ。ひじきやワカメの海藻類をしっかりと取ることもオススメする。ワカメと玉ねぎの炒め物は、おかゆやご飯との相性が抜群なのでぜひ一度試していただきたい。
飲み物は、体を冷やしてくれる麦茶がいいし、酸味のあるオレンジジュースやレモン入りのハーブ系の冷めたいお茶もいいだろう。
水分を大量にとなれければならない塩分補給には、梅干しが最適。お茶でも水でも、梅干しを放り込んで飲めば、塩分不足になることはない。
さらに急いで体を冷やす場合には、バケツに冷たい水をたっぷりと入れて足を冷やすのも大いに効果がある。
以上、あれやこれや参考例だが、猛暑の中でどういう食事を取るかは熱中症対策の有効なリスク回避となる。
兎にも角にも、この猛暑を乗り切るのに命を他人任せにしていては絶対にだめだ。個々の判断と適切な行動が必要だ。是非一人一人の知恵と判断で、頑張って生き抜いてもらいたい。
- いのちの危険を感じるほどの暑さが続いている。
糖尿病患者が1000万人を超えた! (2018/07/11 投稿)
- あらゆる生活習慣病の温床と言われ恐れられている糖尿病の日本での患者数が2016年度に1000万人を超えたことが、厚生労働省の「国民健康、栄養調査」で分かった。これは、他の先進国でも同じような上昇傾向が見られ、世界保健機関(WHO)では、ガンやエイズの危機以上に危険な領域に入ったと世界各国に警告を発している。
そのせいもあってか、最近日本で流行しているのが「糖質制限」という食事法である。糖尿病や肥満予防のために米やパンや麺類等の炭水化物を極力食べないと言う健康法だが、代わりに、肉や魚などのタンパク質中心の副食類はどれだけ食べてもいいと言うものだ。
これではまるで米や麺類などの炭水化物が病気の原因のようにも聞こえるが、コメを長年主食とし世界有数の長寿国を実現した日本であること、また、健康のために玄米食を薦める立場から言えば、これには大いなる異論を唱えたい。
そもそも、糖尿病に限らず生活習慣病の大きな原因は、現代人の美食、飽食にある。その上、農薬や食品添加物などの化学物質の大量摂取。さらに、一般的な食事では、一日に約100g、数百種類と言われる大量の化学物質を年間4kg以上も体内に取り込んでいる。元来自然であるべき現代人の体が化学物質で一杯になり、複合汚染を起こしているのが最大の原因である。
また、それ以外に糖尿病の直接的な原因と言えるのが、あらゆる加工品や飲料、嗜好品等に大量に使われている白砂糖である。これは最近、医学的にも解明されつつあるが、白砂糖の問題は、甘味の原料であるサトウキビ等を徹底的に精製、精白し、100パーセント近い純度にしていることだ。
この高純度の糖分が食品の質や味を安定させ、防腐剤代わりにもなると言うことからパンを始めとしたあらゆる加工品や料理等にも大量に使われている。最近の惣菜や外食は元より、家庭内の味付けでさえ異常に甘くなっているのは、誰もが周知の事実である。
白砂糖は、体内に取り込まれると一気に吸収されるために血糖値が短時間に上昇する。その急激な上がり具合を抑えるために膵臓からインスリンを分泌し血糖値を正常な状態に保とうとするのだが、この状態が慢性的に繰り返されるとやがて低血糖状態が起こり、脳への糖分が不足して様々な問題を引き起こす。甘いもの好きの年寄りが物忘れが激しくなり認知症になるのも、こうした類の現象である。
また、案外気づいていないのが、自動販売機等で売られている清涼飲料水だ。例えば、コカコーラには500mlで14.1個分に相当する角砂糖が使われている。また、ファンタオレンジやカルピスには14.3個分。「カゴメの野菜一日これ一本には200mlで3.4個分。缶コーヒーのボスとろけるカフェオレには11.1個分等々、実は、飲み物にもこれほど驚くほどの白砂糖が入っているのだ。毎日何本もの清涼飲料水を飲んだら、知らない内に何十個もの角砂糖を食べたのと同じことになってしまう。
以上のことからも分かる通り、糖尿病を始めとする現代習慣病を予防し、改善するためには、美食、飽食を控え、農薬や食品添加物を極力口にしないようにし、白砂糖を過剰に食べないことが必要なのだが、正常な脳の働きには良質の糖分が欠かせないと言うこともまた事実である。
そこでお薦めするのが、玄米や麦、その他の精白していない穀物類を主食として食べることである。大根や人参などの野菜類もまた、できる限り皮のまま、一物全体食で食べることがより良い効果を生む。全粒穀物や野菜等のいわゆるホールフードは、普段捨ててしまっている表皮にその大きな効用があり、これらの皮ごと全体を食べる野菜や穀物は、胃腸に取り込まれる際にゆっくりと体内に吸収されるために、急激な血糖値の上昇を抑えることができる。そしてまた、人間にとって理想的な良質の糖分を脳へと供給することもできる。
さらに良いのは、こうした食物を一口50回から100回くらい丁寧に咀嚼することだ。この咀嚼は、糖尿病に限らずあらゆる病気の予防や改善に効果がある。食べ物をしっかりと噛むだけで、血糖値の上昇を抑えることができる。糖尿病や生活習慣病が心配な人には、ぜひ試していただきたい食べ方である。
- あらゆる生活習慣病の温床と言われ恐れられている糖尿病の日本での患者数が2016年度に1000万人を超えたことが、厚生労働省の「国民健康、栄養調査」で分かった。これは、他の先進国でも同じような上昇傾向が見られ、世界保健機関(WHO)では、ガンやエイズの危機以上に危険な領域に入ったと世界各国に警告を発している。
いわき「マクロビアン」これからの報告と協力のお願い (2018/06/13 投稿)
- 3.11の東北大震災から7年が過ぎました。皆さんから「いのちのふるさと」と愛されていたマクロビアンは、以前より一回り大きくなった森の中でひっそりと次なる役割を待っています。
今回の原発事故では、ここマクロビアンも県内の他の地域同様、放射能による大きな被害を受けました。しかし現在では、3回にわたる除染作業と自然の力によって大幅に放射線量が下がり、室内では県外の数値とほぼ同程度にまで下がっており、私たちが長期に滞在できるまでになりました。度々整備や掃除に通い続けていましたので、室内は今すぐにも使えるくらいにきれいです。
これまでずっと、このマクロビアンをどう復興に役立てるかを考えて来たのですが、今後は、次のような目標で少しずつ行動して行こうと考えています。
その第一は、私たちは現在すでに住まいを京都の郊外に移しましたので、今後は、ここからいわきに時々通いながら、マクロビアンのこれまでの活動の内容を活かして、フクシマの原発事故によって健康被害を心配する人たちが宿泊しながら食で健康を改善するための体験と学びができる場に復興させたいと計画しています。
また、フクシマの復興活動に関心を抱く海外の人たちにも来てもらい、原発事故の実態と復興の様子を、ここを拠点にしてもらい県内各地や人物を訪ねることが出来る様にする。また、原発事故について書かれた本や資料を収集して、この事故で消滅寸前になったこの村の歴史やマクロビアンの記録も展示、さらには、縁のある個人や団体にも、復興に関する様々な集いを企画、開催してもらえたらと願っています。
それには、まずここを以前の様に使える場にしなければなりません。出来れば施設全体を一歩でも二歩でも未来社会に向かって前進した姿に変えたいと願っています。そのため、電気や暖房、調理等はソーラーや木材などの自然エネルギーで賄えるようにし、自然農法の畑を作り、滞在するスタッフやゲストの自給栽培ができたらと計画しています。
こうした姿をマクロビアンで実現して、震災後に描き続けたフクシマ復興の未来思考の一つとして、広く社会に提案できたらと考えています。
しかし、以上の計画を実行して行くためには私たちだけの力では到底無理ですので、今後、広く知人、友人、これまでセミナーに参加してくださった人たちにも呼びかけて、また、今後この計画に関心を持っていただける人たちにも声をかけさせてもらい、多くの人たちに応援してもらいながら、この夢を実現していけたらと願っています。
そのためにも、まず母屋、セミナーハウス、書斎の屋根や外壁などの修繕をして使っていなかった井戸や浄化槽、トイレや台所も使えるようにしたいと思います。さらには、宿泊に必要な寝具や家具、食器棚や食器類、冷蔵庫に洗濯機、食卓などの設備も揃えなくてはなりません。
ただ、これらを整備するためにもとにかく、資金をはじめとした全ての力が不足しています。皆さんの作業への参加や物品の援助や寄付も大歓迎ですので、ぜひ、よろしくお願いします。
その第一歩として、今月の下旬(6月27日頃からを予定)に宙八とちあきで草刈り他の整備作業のためにマクロビアンに一週間ほど滞在します。ヘルプをしてくれる方がおられたら、手弁当(交通費、食事、寝袋等各自負担)でぜひ参加して下さい。どんなヘルプでも結構です。ご連絡( otayori@macrobian.net )をお待ちしています。
橋本宙八、ちあき
- 3.11の東北大震災から7年が過ぎました。皆さんから「いのちのふるさと」と愛されていたマクロビアンは、以前より一回り大きくなった森の中でひっそりと次なる役割を待っています。
あなたは何処から来て?何処へ行ったのか? (2018/04/06 投稿)
- 人生で大切な人が、また一人逝ってしまった
ほんの少し前まで、イキイキと話し、行動し、
誰よりも見事に、人間らしい生き方を貫いた人
大切なことを山ほど教えてくれた人、
共に泣いたり、笑ったりもしてくれた人
多くの人を、人生のたしかな道へと導いてくれた人
この世で最も尊敬し、そして慕っていた人
その人が今、
こうして目の前で、ピクリとも動かない、
動いてもくれない、
口を開けることも、話してくれることもない
彼の姿を懸命に探して見るが
何処にもそれを、見つけることができない
その片鱗の、微塵さえも…
戸惑い、サマヨウ私の心
人間とは何か?
あの躍動した命は、一体、何処へ行ってしまったのか?
そもそもあの彼は、何処から来た人だったのだろう?
彼を動かし、生かし、
そして、多くの人を感動させた
あの素晴らしい、溢れるほどのエネルギーは?命は?
一体?何処から?
人は、それを魂と言うのか?
心の世界と言うのか?
魂とは何だ?
心の世界とは、一体何だ?
私にはまだ分からないが
間違いなくそれが、そんな世界があることを
彼が今、こうして教えてくれている
それは、
灰になり、
姿が、その存在が、
すべて消えてしまったからなのか?
見えなかった何かが、
彼の何かが、
こうしておぼろげながら、見えるような気がするのは?
人間とは何か?
人間とは一体、何処から来て?何処へ行くものなのだろう?
何をしにこの世に生まれ、
そして去るものなのだろう?
人生とは何か?生命とは何か?
彼が今、そんな不思議な世界を、
教えてくれている
友であり、同志であり、
兄であり、師でもあった人からの
最後のメッセージ・・・
贈り物・・・
- 人生で大切な人が、また一人逝ってしまった
食の改善なくして教育の成長なし (2018/03/22 投稿)
- フクシマの問題を考える集まりがあって関西の某有名大学に行った。
駅の改札の目の前が大学の門になっていて、周辺には学生たち向けの飲食店がずらりと並んでいる。大学があっての街並みの風景だ。
真っ先に目についたのがラーメン屋。
最近ラーメンが若者に人気があることは知ってはいたが、これほどズラリと並んでいたのには正直びっくりした。
同じ料理を出す店がこれだけあってもそれなりにどの店も成り立っているのだから、それだけ学生たちがラーメンを頻繁に食べているということだろう。
さらにファーストフード店にコンビニに不動産。
これが大学の風景ですと言わんばかりのまるでテレビか映画のセットのようにも見えるが、多分これはどの大学でも似たり寄ったりの風景なのだろう。
しかし、何て色気のない街並みだろう。
これが最高学府を取り巻く環境かと思うと、情けなさを通り越してがっかりした。単に歳のせいだろうか。
しかし、これはいつもそう感じていることだが、どんなに優秀な生徒が集まり、どんなに素晴らしい教授が居て、素晴らしいキャンパスがあったとしても、それを学ぶ側の命がラーメンにジャンクフードとコンビニ食では、彼らの将来はもちろんのこと、日本の未来も容易に想像がつく。
「この状況どうにかしなきゃダメだろう!」といつもそう思うのである。
命は、食以外のものでは造られていない。毎日の食が命に取り込まれ、胃腸で消化吸収され、血液となり細胞となって、そこから生まれる感性が、生きるための感性である知恵や判断や決断力の五感(味覚、嗅覚、視覚、聴覚、触覚)を生み出し、日々養っている。
ただそれだけのじつにシンプルな命の仕組みだ。
つまり、質の良い教育の効果を上げるには、それを受け止める側の命の感性を上げるしかなく、その感性を上げるためには、食事の質を高めるしか無い。
こんな当たり前のことが考えられていないのが日本の教育現場の現状だ。
マクドナルドが出店するのに周辺の住民が猛反対し出店を諦めさせることなど海外では当たり前の時代なのにである。
もちろんこれは、大学生よりはるかに成長の早い保育園や幼稚園、小学校や中学校では言うまでも無いことだ。
粗末な食事で子どもの将来や日本の未来が豊かになるはずが無い。
政治や経済もより良い社会の仕組みを造るためには大事なことだが、何よりも優先し一日も早く改善しなければならないのがこの教育現場の食環境だ。
今更ながらに思い知らされる日本の大きな課題である。
- フクシマの問題を考える集まりがあって関西の某有名大学に行った。
花粉症の原因と簡単な手当法 (2018/03/19 投稿)
- 花粉症の季節真っ只中である。この病気を抱えている人たちにとっては、とても憂鬱な季節である。花粉がどのくらい飛んで来るかが天気予報で放送されるのだから、それだけ多くの人が花粉症で苦しんでいると言うことでもある。
じつは、花粉症は、杉林のそばに住んでいてもかからない人はかからないのだから、必ずしも杉の花粉だけが原因であるとは言えない。空気や水の汚染、排気ガスや生活環境の悪化なども大いに考えられる。
さらに、最も直接的な原因である食物の視点から言えば、そもそも花粉症は、アレルギー体質であることが一番の問題となる。従って、その原因が花粉以外のどこから来ているものかが分かれば、治し方もそう難しいものではない。
体質は日々の食べ物から作られる。従って、アレルギー源となる食べ物を突き止めてそれを食い改めることが出来れば、症状も体質も自然と改善する。
そのアレルギーの一番の原因と考えられるのが、あらゆる食物に使われている大量の化学物質である。野菜や米、果物の栽培等に使われる農薬や化学肥料から始まり、家畜の飼料などにも抗生物質やホルモン剤などが使われていて、肉や乳製品を介して日々大量の薬物が体内に取り込まれているのだ。
この悪しき食環境にさらに拍車をかけているのが、美食、飽食、ジャンクフードやファーストフードなどの現代人の食習慣である。この食の実態を知ると、もはや、現代人がアレルギーにならない方がむしろおかしいとさえ言える。
花粉症を根本から改善するには何よりまずこうした化学物質を可能な限り体に取り込まないことなのだが、この簡単な食の改善も、じつは、好き嫌いが絡むことなので結構難しいことでもある。とりあえずここでは、その深い原因は追求せず、花粉症を治すためにはどうすれば良いか?具体的なアドバイスを書くにとどめて置く。
花粉症というのは、その症状が眼のかゆみやくしゃみであることからも分かる通り、鼻や眼の奥にある鼻腔内のアレルギーの状態が一番問題であるのだから、これを直接刺激する食べ物をまず気をつけることが肝要である。
その原因となる食べ物は、多くの人が好む揚げ物、脂肪の多い肉や魚、乳製品、甘い菓子類、果物、アルコール、甘いジュース類等だ。これらがいくつか重なってしまうと、確実に花粉症の症状を悪化させてしまう。それを避けるためには、これらの食や飲み物を極力減らすか止める必要がある。それが実行できれば、驚くほど簡単に症状が改善されることを実感するはずである。
そして、その避けるべき食べ物や飲み物の代わりに、無農薬、無化学肥料などの自然野菜や穀物、つまり、良質の穀物や野菜を良く噛んで食べることである。また、飲み物を取るなら番茶をおすすめする。その番茶に時々梅干しと生姜一つまみ入れて飲むと、さらに症状が改善される大きな効果を感じるはずだ。
さらに、次のような手当法をやってみることである。用意するのは、生姜一かけら、少々大きめの鍋にたっぷりのお湯、タオルとバスタオルそれぞれ一枚。
やり方はいたって簡単。少し大きめの鍋にたっぷりとお湯を沸かし、一度沸騰させたお湯を80度ほどの温度に下げてその温度を保ったまま、そこに一かけら5センチほどの生姜のすりおろし汁だけを入れる。
そのお湯に、二つか四つに長く折ったタオルかバスタオルをつけて良く絞り、それを鼻や眼の上に乗せて冷めないようにバスタオルで覆う。これを何度か繰り返すだけで花粉症の辛い症状はかなり改善できる。至極安上がりで簡単な治療法もなので、花粉症で苦しんでいる皆さんにはぜひオススメする。
この花粉症を根本から解決するのに最も早く、そして、効力のある方法は半断食だ。これまで体内に溜まっているアレル源をオートファージ効果によって分解、排出してしまえば、たちどころに、そして根本的に花粉症は治る。
あまりにもあっさりと解消するので驚く人さえ居るほどだ。体質は、一度根本から改善してしまえば、もうそう簡単に花粉症が戻ることはない。長年この辛さから解放されない人には、ぜひ来てもらいたいと思う。
マクロビアン 橋本宙八
- 花粉症の季節真っ只中である。この病気を抱えている人たちにとっては、とても憂鬱な季節である。花粉がどのくらい飛んで来るかが天気予報で放送されるのだから、それだけ多くの人が花粉症で苦しんでいると言うことでもある。
田舎暮らしで思うこと (2018/01/19 投稿)
- ここの暮しは、山奥でもなければ大都市の郊外でもない。京都の市内まで車で小一時間ほどのところだから、そうそう度が過ぎた田舎と言う訳でもない。最寄りの駅までは車で15分ほどだから、まあ、不便と言えば不便だが、町の喧噪から離れていられるということでは、ほどほどの里山暮しである。
以前から、古民家に住むことなどほとんど関心も興味もなかったが、これもまた御縁で、120年程歴史のある茅葺きの家に住む事になった。真っ黒に煤焼けしている梁やケタがもろに見える典型的な茅葺きの家である。
この家に移って間もなく1年が経とうとしているが、改修工事で思いのほか時間も手間も費用もかかり、二年がかりの工事の結果ようやく去年の3月に住めるようになった家である。
かつてのいわきの家は、母屋を始めセミナーハウスも書斎も、どこもかしこも木をふんだんに使った家だったが、ここは、木造に土壁の家。当初は、さてどんなモノかと思ったが、思いのほか住み心地が良く、夏は涼しく冬暖かい。この頃はつくづく伝統の家の逞しさ素晴らしさを実感している。この家の工事に関ってくれた建築家、大工さん、庭師の有り難い友人たちに、心から感謝の日々である。
この家に住む時に、可能なかぎり生活に必要なエネルギーは、自然エネルギーで賄える家にしたいと思っていた。水は、いわき同様に井戸水。風呂や暖房は薪で炊くボイラーとストーブ。出来れば調理もバイオガスでやりたいと思っていたが、残念ながらこれはまだ実現できていない。電気も出来ればオフグリッド(独立電源)と思ったが、予算の都合でこれもまだ適わず少々先のことになりそうである。住み心地の悪さを心配していた古民家だったが、今は、とても気持ちのいい暮し安さを提供してくれている。
こんな山暮しで長年骨身に沁みていることは、田舎暮らしは結構努力も体力も気力も要ると言うことだ。ここの環境は、東北に比べてはるかに植物の成長が早いと感じる。そのために、草刈りは結構度々必要で、薪集めもまた結構な労働の一つである。
自分では、この草刈りも薪集めも田舎暮らしの必要条件だと考えているが、しかし、以前は、やればやるほど身体が燃えて楽しかった作業だが、残念ながら寄る歳波には勝てず、この頃は、体力の限界と向き合いながらの作業となってしまっている。
ちあきには、「そろそろ誰かに頼んでやってもらったら」と言われるが、草刈りと薪集めが出来なくなったら田舎暮らしは終わり。と勝手にそう決めているので、こればかりは他人にゆずる訳に行かない。当分は、楽しみながら意地でもこの作業に正面から向き合って行くつもりである。
いわきでもそうだったが、草刈りがしっかりやれて、冬に薪がたっぷりとあれば、何よりも豊かな気分になるものだ。今年は縁合ってたっぷりいい薪を集めることが出来た。何があっても大丈夫と思える余裕の冬である。また春には草がすくすくと育ち始める。今年もまた体力、気力を計り乍らやる田舎暮らしを淡々と楽しみたいと思っている。
- ここの暮しは、山奥でもなければ大都市の郊外でもない。京都の市内まで車で小一時間ほどのところだから、そうそう度が過ぎた田舎と言う訳でもない。最寄りの駅までは車で15分ほどだから、まあ、不便と言えば不便だが、町の喧噪から離れていられるということでは、ほどほどの里山暮しである。
いのちの自然農法 (2018/01/04 投稿)
- 私が食の世界に関心を持ったのは、42年前に福岡正信先生の「自然農法」に出会ったことがきっかけだった。
耕さない、肥料も施さない、可能な限り人為を施さず、自然のあるがままに作物を育てる。そんな農法で育てられた見事な稲を見て、これこそが本来の農法の姿だと気がつかせてもらった。
この自然農法は今、発展途上国の持続可能な農法として、あるいは、砂漠の緑化などの自然環境を守るための画期的、革新的な手法として、広く世界に注目されるようになった。
そんな健康法が人間のいのちの世界にもきっとあるはずだと探し続けた結果、食の世界に出会い、以来、44年間この健康法を探究実践し、創り上げたのが「半断食による心身改善法」である。
半断食は、自然農法同様に、可能な限り人知や人為を捨て、食物が持つ自然の力によって免疫力や自然治癒力を高めて、偏った状態や体質を改善し、健康な体と心を取り戻す方法である。私はこれを農法に例えて「いのちの自然農法」でもあると思っている。
半断食セミナーでは、正しい食物を正しく選択し、正しく食べることによって、ごく短期間でも健康が取り戻せることを体験、実感してもらうことを目的としている。
この至ってシンプルな方法で、どんな状態や体質の人でも、また、どんな地域や国に住む人でも、身体を変え、心も改善できることを、多くの参加者の体験から学ばせてもらった。
病人が激増し、医療費の高騰によって国の危機さえもが叫ばれる中で、一人でも多くの人が自ら病気を予防し健康を管理できるようになることは、これからの社会にとっても、また個人にとっても必要不可欠なことである。
自然農法同様、半断食を体験することによって、一人でも多くの人が病気の悩み、苦しみから解放され、食の大切さに目覚めてくれることを心から願っている。
2018/1/4 橋本宙八
- 私が食の世界に関心を持ったのは、42年前に福岡正信先生の「自然農法」に出会ったことがきっかけだった。
自分の身に起こった不思議な話 (2017/12/31 投稿)
- 世の中には、自分のことであれ世間一般のことであれ、理屈では分からないことが一杯ある。その一つが、私が70歳になった今の今まで、なぜ食の世界に関心を抱き、長い人生でそれに関って来たのだろうか?という自分でも分からない不思議である。
こ不思議は、私が14歳の時に死んだ父親を語った母の話から始まる。小学校の一年生になるまで私達家族は故郷の新潟に住んでいた。父親の仕事の都合で北海道の函館に移り住み、中学の二年生の時に父親は、出張先の釧路で仕事中に雲膜下出血で倒れてそのまま亡くなった。
父の死後、どこの誰に聞いたのかは分からないが、母が、青函連絡船で津軽海峡を渡り青森県の恐山に行き、死んだ人と対話が出来ると言うイタコという降霊者に会いに行ったことを聞いた。
この場所はずっと気になっていたので、大人になってからその恐山を訪ねて見たが、そこは、知る人ぞ知る東北の名所で、山奥の温泉の湯元の地獄谷一帯のことを言い、いかにもあの世をイメージさせる荒涼たる雰囲気を醸し出しているその名にふさわしい場所であった。
イタコの多くは、かつては目の不自由な障害を持った年配の女性たちであったとも聞くが、いつの頃からか、そうした人たちが生きて行くための生業としてこの恐山に集まるようになり、死者の口寄せをして残された人たちを慰めるそんな信仰の場として続いて来たのだろうと思われる。
いずれにしても当時は、その恐山がそんな所だとはまったく知らなかったが、その恐山から戻った母親が私を前に座らせて語ったことが、「父さんは、お前は将来、食べ物に関係する人間になると言っていた
と話してくれた。
しかし、表具師だった父親の跡を継ぐという話なら分かるが、考えたこともなかった食の仕事につくと言う話に、少年だった私は、たまたま母の兄である叔父が東京で飴屋をやっていたので、そこの工場にでも勤めるのかも知れないと、ぼんやりとそんなことを思っていたものである。
しかし、その後、私が26歳になった時に、まさしくそんな食の最も深いところにまで踏み込んで食物による健康法を提案するマクロビオティックの仕事に付くとは、じつに不思議なことだと今でもそう思っている。
そんな母親の言葉はただの偶然の一致なのか、あるいは、たしかにそんな未来が分かる世界があるのかは未だに良く分からないが、少なくとも私の人生に於いては見事に的中したそのイタコの予言の不思議さに、改めて世の中には理屈だけで語れないことがあるのだと言うことを実感する。そんな母は3年前に数え年100歳で亡くなった。生前の母を思い出す数少ない物語の一つである。
- 世の中には、自分のことであれ世間一般のことであれ、理屈では分からないことが一杯ある。その一つが、私が70歳になった今の今まで、なぜ食の世界に関心を抱き、長い人生でそれに関って来たのだろうか?という自分でも分からない不思議である。
-
橋本宙八からのひと言が投稿された際に、メールにてお知らせいたします!